児島 文(こじま ふみ、1916年12月17日 - 1996年6月7日[1])は、日本の陸上競技選手、陸上競技指導者。旧名・フミ[2]。
経歴
鹿児島県肝属郡高山町(現肝付町)出身[2]。中京高等女学校家事体操専攻科(現・至学館大学)卒[3]。鳥栖高等女学校(現佐賀県立香楠中学校・鳥栖高等学校)教員、鹿児島第一高等女学校(現鹿児島県立鶴丸高等学校)教員を務めた[2]。1934年(昭和9年)6月、砲丸投で10m84cmの女子日本新記録を出し、以後、円盤投、砲丸投の選手として活躍[2]。1936年ベルリンオリンピックで女子円盤投に出場した[4]。1951年アジア競技大会で、 円盤投と砲丸投で銀メダルを獲得した[2]。
その後、九州で陸上競技の指導を行い、南日本新聞スポーツ担当記者、愛知県立女子短期大学教授、鹿児島経済大学(現鹿児島国際大学)教授、鹿児島陸上競技協会理事長などを務めた[2]。
脚注
関連項目
参考文献
- 『現代物故者事典 1994~1996』日外アソシエーツ株式会社、1997年。
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