倉澤 利彰(くらさわ としあき、1976年4月21日 - )は、日本の元競泳選手。1992年バルセロナオリンピック・1996年アトランタオリンピック日本代表。
経歴
足立区立第十四中学校[1]、世田谷学園高校[2]、日本大学卒[3]。NASスイミングスクールで1972年ミュンヘンオリンピック・1976年モントリオールオリンピック日本代表の本多忠に指導を受けた[4]。
1991年日本選手権の200m・400m個人メドレーで2冠を達成した。男子中学生としては1983年日本選手権の100m・200m・400m自由形で3冠を達成した緒方茂生以来8年ぶりの優勝となり、パンパシフィック水泳選手権の代表に選出された[5]。
1992年日本選手権兼バルセロナオリンピック選考会の200m自由形と400m個人メドレーで優勝し、日本代表に選出された[6]。1992年バルセロナオリンピックの200m自由形では予選落ち、400m個人メドレーでは失格となった[7]。
1996年日本選手権兼アトランタオリンピック選考会の400m個人メドレーで優勝し、2大会連続となるオリンピック日本代表に選出された[8]。1996年アトランタオリンピックの400m個人メドレーではB決勝2位(全体10位)[9]。
2000年日本選手権兼シドニーオリンピック選考会の200m個人メドレーで6位、400m個人メドレーでも6位となり、3大会連続の日本代表入りはならなかった[10]。
引退後は指導者として、佐藤久佳らを担当した[11]。2008年北京オリンピックと2020年東京オリンピックはコーチとして日本代表に選出された[12][13]。
脚注
外部リンク
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