佐藤 弘祐基本情報 |
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国籍 |
日本 |
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出身地 |
宮城県栗原市 |
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生年月日 |
(1985-11-29) 1985年11月29日(39歳) |
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身長 体重 |
186 cm 82 kg |
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選手情報 |
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投球・打席 |
右投右打 |
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ポジション |
捕手 |
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プロ入り |
2003年 ドラフト7巡目 |
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経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) |
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選手歴 |
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監督・コーチ歴 |
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佐藤 弘祐(さとう こうすけ、1985年11月29日 - )は、宮城県栗原市出身の元プロ野球選手(捕手)、指導者。
経歴
東北高校在学中に主にバッテリーを組んでいた投手が、1学年上の高井雄平、1学年下のダルビッシュ有と、いずれも高校卒業時にドラフト1巡目指名された好投手であった。その結果、彼らの速球を捕球するために特に守備能力が鍛えられ、恵まれた体格と相まって、高校生レベルでは守備力・特に捕球能力の評価が非常に高く、また肩の強さの評価も高かった。3年生時には春、夏の甲子園に連続出場、夏の甲子園ではダルビッシュ・真壁賢守の後輩投手をリードしてチームを準優勝に導く。
2003年のドラフト会議で読売ジャイアンツに7巡目で指名を受けて入団する。
しかし、若手捕手はなかなか試合出場機会を得難い例に漏れず、2006年までの3年間で一軍選手登録経験は無し。二軍では1年目の2004年は24試合に出場、翌2005年は21試合に出場しているが、いずれも打率1割台と打撃面が課題となっている。
2007年からは育成選手として契約。2008年6月14日発生の岩手・宮城内陸地震の被災地に、慈善事業団を通じて10万円を送った。
2008年10月31日に自由契約公示されるが、同年11月27日に再契約。
2009年10月30日、再び自由契約公示され、翌日引退、巨人のブルペン捕手となることが決まった。
その後、2012年より二軍サブマネージャー、2015年より二軍マネージャー、2019年よりファームの試合運営を担当。
2022年11月23日、2023年から本格的に始動する読売ジャイアンツ女子チームのコーチ就任が発表された(背番号は82)[1]。
2024年12月23日に球団スコアラーの就任が発表された[2]。
詳細情報
年度別打撃成績
背番号
- 96 (2004年 - 2006年)
- 100 (2007年 - 2009年)
- 129 (2010年)
- 216 (2011年)
- 82 (2023年 - 2024年)
脚注
関連項目
外部リンク