佐藤 一男(さとう かずお、1892年5月23日 - 1959年10月29日)は、日本の鉄道技術者、実業家。
来歴
広島県福山市出身。1918年に京都帝国大学工学部電気工学科を卒業し、京阪電気鉄道に入社[2]。
車両技術部門で活躍し、全鋼製ロマンスカー京阪1550型電車の設計、製作に携わり、欧米での留学で得た知識を生かして、日本最初の連接車である京阪60型電車(びわこ号)を立案、建造した[2]。
取締役、常務、専務を経て、1943年に陸上交通事業調整法による阪神急行電鉄との統合により、京阪神急行電鉄副社長に就任した[2]。
1946年11月に公職追放を受け、副社長を辞任し[2]、相談役に就任した。
1959年10月29日死去[3]。67歳没。
脚注
- ^ a b c d 『京阪70年のあゆみ』京阪電気鉄道、1980年、pp.84 - 85
- ^ 『京阪70年のあゆみ』京阪電気鉄道、1980年、p.456
参考文献
- 興信データ株式會社『人事興信録 第18版 上』興信データ、1955年。