佐々木 吉三郎(ささき きちさぶろう、明治5年11月15日(1872年12月15日) – 大正13年(1924年)11月20日)は、日本の教育学者。
経歴
宮城県出身。宮城県師範学校を経て、1899年(明治32年)に東京高等師範学校を卒業。東京高等師範学校附属小学校訓導、東京高等師範学校助教授、同教授を歴任した。1907年(明治40年)から1909年(明治42年)までドイツに留学。帰国後、東京高等師範学校教授・同附属小学校主事を務めた。
その後、東京市視学[2]、同学務課長[3]に就任した。
著作
- 「在校当時の母校」(『教育』第344号、茗渓会、1911年10月)
- 「ブタベストとベルリンに於ける 講道館柔道」(『教育』第457号、茗渓会、1921年5月)
- 『佐佐木吉三郎教育論集』 東京高等師範学校初等教育研究会編、目黒書店、1925年5月
- 著書
- 訳書
- 編書
- 『尋常小学唱歌』全12巻、納所弁次郎、田村虎蔵共編、日本書籍、1905年-1906年
- 『抜萃 尋常小学唱歌』全6巻、納所弁次郎、田村虎蔵共編、佐藤勝太郎、1914年4月
- 『実業之日本社派遣 渡米小学校長団視察報告』 実業之日本社、1919年2月
脚注
- ^ 『大正10年 職員録』印刷局、1921年、p.885
- ^ 『大正13年 職員録』印刷局、1924年、p.932
参考文献
- 人事興信所編『人事興信録 第5版』人事興信所、1918年。
関連文献
- 『教育研究』第230号、初等教育研究会、1921年11月
- 羽生健雄 「佐々木吉三郎」(石森芳男編輯 『郷土人物伝』 宮城県教育会、1929年12月)
- 大桃伸一 「佐々木吉三郎」(河北新報社宮城県百科事典編集本部編 『宮城県百科事典』 河北新報社、1982年4月)
- 大槻宏樹 「佐々木吉三郎 : 全体と個の社会教育」(全日本社会教育連合会編 『社会教育論者の群像』 全日本社会教育連合会、1983年5月)
- 鈴木博雄 「佐々木吉三郎 : コイコイ主義の指導法」(唐沢富太郎編著 『図説 教育人物事典 : 日本教育史のなかの教育者群像 中巻』 ぎょうせい、1984年4月)
- 野地潤家 「佐々木吉三郎」(国語教育研究所編 『国語教育研究大辞典』 明治図書出版、1988年)
外部リンク
ウィキメディア・コモンズには、
佐々木吉三郎に関連するカテゴリがあります。