住山 徳太郎(すみやま とくたろう、1886年(明治19年)5月1日 - 1962年(昭和37年)11月20日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。
経歴
東京府出身。住山宗次郎の長男として生まれる。学習院中等科を経て、1906年(明治39年)11月、海軍兵学校(34期)を卒業し、翌年12月に海軍少尉任官。海軍大学校で乙種学生、同専修学生として学び、水上機母艦「若宮丸」分隊長、通報艦「淀」航海長、海兵教官、第三艦隊参謀、東郷平八郎元帥副官などを経て、1919年(大正8年)12月、海軍大学校(甲種17期)を卒業。以後、巡洋戦艦「鞍馬」航海長、第三艦隊参謀、横須賀海兵団分隊長、戦艦「敷島」航海長、第二艦隊参謀、海軍省人事局第1課局員などを歴任。
1926年(大正15年)12月、東宮兼侍従武官、侍従武官、戦艦「榛名」艦長、呉鎮守府参謀長などを歴任し、1932年(昭和7年)12月、海軍少将に進級。以後、第8戦隊司令官、教育局長などを経て、1936年(昭和11年)12月に海軍中将となる。その後、海兵校長、海軍次官、佐世保鎮守府司令長官、軍事参議官などを歴任し、1942年(昭和17年)3月、予備役に編入された。その後、秩父宮別当を勤めた。戦後の1947年(昭和22年)11月、公職追放仮指定を受けた[1]。
温厚な人柄から、「海軍女子学習院長」のニックネームがあった[2]。
親族
- 妻 住山幸子 世良田亮海軍少将の娘
- 長男 住山徳雄(海軍大尉)
栄典
- 外国勲章佩用允許
脚注
参考文献
- 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
- 外山操編『陸海軍将官人事総覧 海軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
- 福川秀樹『日本海軍将官辞典』芙蓉書房出版、2000年。