伊豆長岡温泉(いずながおかおんせん)は、静岡県伊豆の国市にある温泉。「名湯百選」「伊豆三古湯」である。
温泉街
伊豆の国市の旧伊豆長岡町中心部に位置する。伊豆半島の付け根にあたり、伊豆の玄関口に位置する。源氏山を挟んで東側の「古奈地区」と西側の「長岡地区」から構成される。
昔は別々の温泉名で呼ばれていたが、現在は両地区を合わせて「伊豆長岡温泉」と呼ばれる。
古奈温泉は古くは田畑の中に位置しており、西暦720年頃に発見されたとされる。源頼朝が挙兵の際や、湯治目的で度々入浴したとされた逸話が残る。しかし近年に宅地開発がされたため、住宅地の中に温泉旅館等がある街並みで、温泉街といえる街並みは無い。
一方で長岡側の開発は大正時代以降で、以後1965年(昭和40年)に山を切り開いた狩野川放水路が開通したことで、この放水路沿いに県道134号線(現在は国道414号線)が建設されることとなり、沼津市、富士市、富士宮市の奥座敷として急速に発展した。バブル経済も相まって、旧街道沿いに温泉街が急速に形成された。
長岡地区では戦後はいわゆる赤線で10軒以上営業しており、その流れを引き継ぎ、高度成長期には歓楽街的温泉として大きく発展した。取締りにより一時期と比較して女性サービスを前面に出した飲食店は減った一方で、コンパニオン接待を大々的に売り出す宿泊施設が登場している。
近年では女性客や子供連れでも楽しめる「源氏山七福神巡り」「芸妓まつり」「まゆ玉飾り」を開催するなど、地域の文化や伝統芸能を残した観光へ力を注いでいる。
温泉街は低山に囲まれているが、いくつかの旅館からは富士山が眺められるところもある。
泉質
- アルカリ性単純温泉
- 一般的な単純温泉と同じく無色、透明、無臭と案内されているが、自家源泉を有する施設ではヨウ素由来の若干の薬臭、または海藻の様な臭いがする。また、アルカリ土類金属によるすべすべ感が特徴的で、一部の宿では「美肌の湯」「美白の湯」などと謳っている。ただし加水を行ってる場合、これらの特徴が損なれていることがある。
戦後に急速に開発され、伊豆長岡と韮山地区併せて200本程度の井戸を開発した結果、温度低下と揚湯量が激減した。そのため泉質保護を目的とし、伊豆長岡町温泉事業協同組合(韮山地区は韮山土地開発組合を設置)により温泉集中管理組合を先駆的に導入した温泉地である。集中管理式導入は全国で浅虫温泉に次いで2番目の早さである。
40本近い源泉と集湯管により、一方通行循環供給を行っている。ピーク時の夕方以降に備えて、貯湯槽を2基備えている。自家源泉を所有している施設は、宿泊施設の規模や利用状況に応じて自施設で自家源泉を使用し、一部を集湯管に放流する形式となっている。自家源泉が無い施設は、その宿泊施設の規模に応じて配湯館の共同源泉を引湯する。
配湯管の総延長は13km、集湯管の総延長は3.8kmである。
- 第1貯湯槽
- 静岡県伊豆の国市長岡1157-2
- アルカリ性単純温泉
- 給湯温度:約60度
- 伊豆長岡地区の21源泉を集約、分配
- 第2貯湯槽
- 静岡県伊豆の国市墹之上
- アルカリ性単純温泉
- 給湯温度:約62度
- 古奈地区の17源泉を集約、分配
施設
- 長岡地区側には足湯を中心とした「湯らっくす公園」、「小川屋足湯」がある。古奈地区側にも足湯として、「古奈湯元公園」「姫の足湯」があり、無料で利用できる。
- 共同浴場は長岡地区に2箇所、古奈地区に1箇所ある。
- 温泉街には温泉での治療を目的とした病院も複数ある。
- 長岡地区側には伊豆パノラマパークがあり、ロープウェイを使って葛城山の山頂まで行くことができ、富士山や駿河湾などの風景が楽しめる。
日帰り入浴施設(除く共同浴場)
- ニュー八景園(日帰りに特化した専用食事付プランや、休憩室等もある)
- 弘法の湯長岡店(日帰りに特化した専用食事付プランや、休憩室等もある)
- 弘法の本店
- 頼朝の湯・本陣(1000円)
- 八の坊(1000円)
- いずみ荘(1000円)
- ホテル天坊(1600円もしくは1700円)
- ホテルサンバレー伊豆長岡(1040円もしくは1370円)
- あづまや旅館(500円)
- KKR伊豆長岡(750円)
- コナステイ(1000円)
歴史
伊豆長岡温泉は長岡温泉と古奈温泉が合併してできた。
- 古奈地区の開湯は約1300年前と伝承されるが正確な史料はない。ただ、伊豆配流の身であった源頼朝の正室政子の生家北条氏の所領地にある温泉地として、吾妻鏡にも『伊豆國小名温泉』や『伊豆國北條小那温泉』の名が記され、当時から将軍家や公卿に用いられた湯治場であった[2]。
- 長岡地区の開湯は明治時代に入ってからで、田端温泉や多聞温泉などいくつかの温泉が合併して、長岡温泉と成った。
- 大正時代から戦前にかけて、後藤新平や平沼騏一郎、宇垣一成などの政官界要人が別荘を構えていた。
お祭り・行事
閉館した施設
全国の温泉街が衰退傾向になり始めたバブル崩壊の際、当温泉はもとより比較的安価な価格設定が多かった上、静岡県東部は自動車部品、家庭用紙製品の製造が盛んで、生活必需品である為すぐに景気悪化には繋がらず、奥座敷として一定の賑わいがあった。またコンパニオン接待や、当時はまだ珍しいインバウンド需要を積極的に取り入れるといった別路線で多くの施設が危機を脱した。
しかし、1998年に伊豆縦貫道が修善寺まで開通し修善寺温泉、土肥温泉などと競合関係になったこと、2010年には伊豆縦貫道が東名高速道路沼津インターと直結したことで静岡県中東部、神奈川県西部から日帰り圏内となり宿泊需要が減少、同時に近県の石和温泉、河口湖温泉、三谷温泉などがインバウンド需要の取り込みに注力したことで競合が激化し、2010年ころより廃業に追いこれまれた宿が急増している。
閉館が続出しているのが2010年以降のため、他温泉にみられるバブル期に閉鎖され、明らかな廃墟となっている様な建物は見当たらない。
- 長岡石亭
- 静岡県伊豆の国市長岡55
- 2006年6月、石亭グループ破産に伴い2009年9月末で閉館。2020年現在はTKPにより買収され、「石のや」となっている。
- ささや竹翠亭
- 静岡県伊豆の国市古奈407
- 2007年6月末で事業停止、負債10億4400万円。桂川グループの傘下になり、「桂川彩峰」としてオープン。
- 長岡ホテル
- 静岡県伊豆の国市長岡1110
- 2011年頃に閉館。2020年現在は日帰りプランや湯治などに特化した「弘法の湯・長岡店」となっている。
- 三渓園
- 静岡県伊豆の国市長岡1035-1
- 2020年現在は「伊東園ホテル 金城館」となっている。
- こだま荘
- 静岡県伊豆の国市長岡605
- 2010年頃に閉館。2015年頃解体。
- さかなや旅館本館
- 静岡県伊豆の国市長岡1068
- 2010年頃に閉館。
- 2件の系列旅館を売却し債務整理をしたうえで、2021年6月に破産申請を行った。負債総額は17億円程とされる[6]。
- さかなや別館本陣
- 静岡県伊豆の国市古奈6
- さかなやグループ解散に伴い2010年頃に閉鎖し売却。現在は「頼朝の湯本陣」となっている。
- ゆもとや
- 静岡県伊豆の国市長岡1093-5
- 2010年9月末で閉館。廃墟となっている。
- 孔雀亭住吉館(住吉館旧館)
- 伊豆の国市古奈1193-1
- 2012年頃に閉館、解体され住宅地となっている。住吉館新館である「梅香苑住吉館」は2008年に土肥温泉の山海荘に経営譲渡した上で、「すみよし館」に名称変更し営業継続。
- その後、「すみよし館」経営の山海荘株式会社は、2017年に負債11億円で破産申請をしている[7]。
- 懐石のやど ときわ旅館
- 静岡県伊豆の国市長岡1033-1
- 2012年9月末で閉館、2020年現在は一条となっている。
- 山田屋旅館
- 静岡県伊豆の国市長岡1076-1
- 2013年9月末で閉館、2018年解体。
- 湯屋光林
- 静岡県伊豆の国市長岡329-1
- 2014年11月末で閉館。2016年頃に解体され住宅分譲地となった。
- 南山荘
- 静岡県伊豆の国市長岡1056
- 2016年3月末で閉鎖。
- 大観荘
- 静岡県伊豆の国市古奈307
- 2018年12月で事業停止、負債1億7000万円で破産申請[8]。
- 2020年、新経営者のもとで「コナステイ」となっている。
- 桂川彩峰
- 静岡県伊豆の国市古奈407
- 桂川グループ廃業に伴い、2019年3月で営業終了、同年9月より、「富嶽はなぶさ」が移転しオープン。
- 二葉
- 静岡県伊豆の国市長岡1348-10
- 2019年6月末で事業停止、負債2億8000万円で破産申請[9]。
- 2020年7月、新経営者のもとで「桂の泉」としてリニューアルオープン。
- 三楽の宿さかや
- 静岡県伊豆の国市長岡78
- 2019年9月末で閉館。
- 富嶽はなぶさ(旧)
- 静岡県伊豆の国市長岡1148-1
- 素泊まりの宿としてリニューアルオープンしたが、2020年2月末で閉鎖。
- 華の湯
- 静岡県伊豆の国市長岡1304-1
- 2020年3月末で閉館。
アクセス
脚注
- ^ 湯らっくす公園案内板掲示
- ^ 第31巻嘉禎2年4月8日、第33巻仁治元年9月8日
- ^ 家屋倒壊、韮山など死者多数『東京日日新聞』昭和5年11月27日夕刊(『昭和ニュース事典第2巻 昭和4年-昭和5年』本編p173 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
- ^ 熱川温泉 寮が倒壊、生き埋め『朝日新聞』1978年(昭和53年)1月14日夕刊、3版、1面
- ^ シアン禍は人災だ 怒りと不安の渦『朝日新聞』1978年(昭和53年)1月20日朝刊、13版、23面
- ^ https://www.nikkei.com/nkd/industry/article/?DisplayType=1&n_m_code=095&ng=DGXZQOCC113KS0R10C21A5000000
- ^ https://www.travelvision.jp/news/detail/news-77350
- ^ https://n-seikei.jp/2019/06/post-59936.html
- ^ https://n-seikei.jp/2019/07/post-60281.html
- ^ 特急バス運行開始
関連項目
外部リンク