伊 世同 (い せどう、1931年 4月25日 [ 1] - 2008年 7月[ 1] )は、中国 の天文史 学家である[ 2] 。長年、北京天文館 、北京古観象台 に勤め、国内外の歴史的な星図 や観測機器、観測施設の歴史などの調査研究に尽力した[ 3] 。伊が編纂し星図を描いた『中西对照恒星图表 1950.0』は、中国天文学 と西洋の天文学 を地続きにする労作として称賛される[ 4] [ 3] 。
略歴
伊世同は、1931年4月25日、吉林省 吉林市 で生まれた[ 1] 。美術を学んで中学校の教員となり、天文学は独学で身に着けた[ 1] 。
1956年、国務院 の4部局と中国科学院 の合同による委員会の招聘で、北京天文館に着任した[ 1] 。その後、定年まで北京天文館、及び北京天文館が管理する北京古観象台に勤務し、1991年に退職した[ 3] [ 1] 。
伊世同は、登封観星台 を保存し、博物館 施設とするための中国天文博物院を設立し、その院長も務めた[ 1] 。2008年7月、世界文化遺産 登録に向けた調査のため登封市 を訪れた際、心不全 で倒れ、そのまま77歳で亡くなった[ 3] 。
業績
銭元瓘 王墓で発見された石刻星図 。
北京天文館、北京古観象台に務めた伊世同は、古今東西の星図や、歴史的な天文観測機器、天文学や天文観測施設の歴史などの調査研究を行っていた[ 3] 。その成果は、10冊の著書、300あまりに上る論文で発表されている[ 1] 。呉越 の王・銭元瓘 と王妃の墓にあった、現存する最古のものとされる石刻星図の調査報告や、雍和宮 の時輪殿(通称数学殿)が所持していた天文機器などの目録作成、紫金山天文台 が保管していたグノモン の影を測るものさし(量天尺)から明 代の1尺 の長さを24.525センチメートル と突き止めるなど、様々な業績があるが、最も特筆すべきものは、『中西对照恒星图表 1950.0』 の発行である[ 5] [ 6] [ 7] [ 3] 。
『中西对照恒星图表 1950.0』 は、星図と星表 の2分冊で、1981年に科学出版社 (英語版 ) から出版された[ 3] 。伊と共同研究者たちは、この星図・星表の作成に20年を費やした[ 4] 。中国と西洋の星名を一致させる研究は、グスタフ・シュレーゲル や土橋八千太 が、清 朝滅亡後は中国でも趙元任 や高魯 らが発表しており、それぞれ重要な成果である[ 4] [ 3] 。しかし、伊らの『中西对照恒星图表 1950.0』は、(1) 肉眼 等級 の恒星 を網羅、(2) 高い精度の赤道座標 、(3) 国際天文学連合 の星座 と中国天文学の星官 を重ね合わせ一目で比較できる星図、(4) 星官、星名、番号の完全な一覧、といった要求を全て実現し、完成度と利便性において同種の書籍の中で突出しており、中国天文学の研究に新たな地平を開いたと評価される[ 4] [ 3] 。この星図は、先んじて『中国大百科全書 』第1巻の『天文学』に掲載され、多くの研究者に参照され、ジョゼフ・ニーダム もネイチャー 誌上で称賛している[ 3] 。
ルーヴェン大学 に設置されたフェルビースト 作の天球儀 の複製。
伊は、西側諸国との天文学における交流にも熱心であった[ 3] 。特に、北京古観象台の観測機器とゆかりのあるフェルディナント・フェルビースト の祖国ベルギー では、フェルビーストが康熙帝 のために作成した巨大天球儀 の完全な複製を、フェルビーストの母校ルーヴェン大学 に設置するため東奔西走し、1989年に実現した[ 3] [ 8] 。
出典
^ a b c d e f g h “易和瓷-東方文化的理論與實踐 ” (中国語). 壹讀 (2017年11月23日). 2024年11月3日 閲覧。
^ 丘光明 著、加島 純一郎 訳「中国古代度量衡 」『計量史研究』第22巻、第1号、77-96頁、2000年12月31日。https://dl.ndl.go.jp/pid/10631958/1/1 。
^ a b c d e f g h i j k l 李, 元 (2008年8月21日). “伊世同对中西星图的贡献” (中国語). 科学时报 . https://news.sciencenet.cn/sbhtmlnews/2008/8/210100.html 2024年11月3日 閲覧。
^ a b c d Kistemaker, J.; Yang, Zhengzong (1988), “A New Approach to Traditional Chinese Astronomy”, Proceedings of IAU Symposium 133 : 23-28, Bibcode : 1988IAUS..133...23K
^ 有坂隆道 著「高松塚の星宿と呉越国王銭元瓘墓・王妃呉漢月墓の星宿」、横田健一 先生還暦記念会 編『日本史論叢: 横田健一先生還暦記念』横田健一先生還暦記念会、吹田市 、1976年9月3日、307-320頁。doi :10.11501/12208663 。
^ Yongdan, Lobsang (2017), “A Scholarly Imprint: How Tibetan Astronomers Brought Jesuit Astronomy to Tibet” , East Asian Science, Technology, and Medicine 45 : 91-117, JSTOR 90020947 , https://jstor.org/stable/90020947
^ 篠原俊次「魏志倭人伝の里程単位 —その4—「一寸千(短)里」説批判 」『計量史研究』第7巻、第1号、7-22頁、1985年10月30日。https://dl.ndl.go.jp/pid/10631791 。
^ Heyndrickx, Jeroom (2023-12), “A copy of the Celestial Globe of Ferdinand Verbiest sj at Leuven University (Belgium)” , Verbiest Courier XXXV : pp. 12-14, https://www.kuleuven.be/verbiest/koerier/courierengdec2023.pdf
外部リンク
伊, 世同, ed. (1981) (中国語), 中西对照恒星图表 1950.0 (星图分册) , 科学出版社, https://archive.org/details/Ancient-Chinese-Astronomy/%E4%B8%AD%E8%A5%BF%E5%AF%B9%E7%85%A7%20%20%E6%81%92%E6%98%9F%E5%9B%BE%E8%A1%A8%20%201950%E5%B9%B4%20%20%E6%98%9F%E5%9B%BE%E5%88%86%E5%86%8C_11481621
伊, 世同, ed. (1981) (中国語), 中西对照恒星图表 1950.0 (星表分册) , 科学出版社, https://archive.org/details/Ancient-Chinese-Astronomy/%E6%81%92%E6%98%9F%E5%9B%BE%E8%A1%A8%20%E6%98%9F%E8%A1%A8%E5%88%86%E5%86%8C%20%E4%B8%AD%E8%A5%BF%E5%AF%B9%E7%85%A71950.0%2010498618