今関天彭

今関 天彭
人物情報
別名 今関 寿麿
生誕 (1882-06-19) 1882年6月19日
日本の旗 日本千葉県
死没 1970年10月19日(1970-10-19)(88歳没)
学問
研究分野 漢学
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今関 天彭(いまぜき てんぽう、1882年6月19日 - 1970年10月19日)は、漢詩人、中国研究家。本名は「今関寿麿」。

経歴

出生から修学期

1882年、千葉県で生まれた。漢学者・今関琴美を祖父に持ち、読書を好んだ[1]。父・今関富徳も漢学を修めて漢学塾を継いでいたが、放蕩のため立ち行かなくなり、塾をたたんで東京中野に移り住んだ。天彭も父に従って東京中野に移って少年時代を過ごした。その後、石川鴻斎森槐南らに師事した。

記者時代

1910年、『国民新聞』の記者となった。翌1911年に『国民雑誌』の記者に転じた。

朝鮮半島に渡る

1916年、朝鮮総督府嘱託として朝鮮半島に赴任した。しかし漢学者であり中国問題に関心があったため、翌1918年に北平(現・北京市)に出た。中国の学者や要人と交際し、中国事情の研究ために今関研究室を設立した(後に「今関中国文化研究所」)。1942年、重光葵大使顧問をつとめた。

戦後、引揚げ後は東京中野に住み、漢詩雑誌『雅友』を創刊した。

家族・親族

  • 祖父:今関琴美(いまぜき きんび)も漢学者。山陽琴美とも名乗った。
  • 父:今関富徳も漢学者。
  • 弟:今関和雄

著作

著書
  • 『東京市内先儒墓田録』政教社 1913
  • 『支那人文講話』読画書院 1919
  • 『支那商工業の変遷』支那研究室 1920
  • 『中支汗漫游話』今関研究室 1924
  • 代及び現代の詩文界』今関研究室 1925
  • 『清代及び現代の詩余駢文界』(清代及現代の支那文学界 2) 今関研究室 1926
  • 『近代支那の学芸』民友社 1931
  • 法帖叢話』民友社 1932
  • 駿河臨済禅』静岡谷島屋書店 1934
  • 『駿遠之詩界』静岡谷島屋書店 1935
  • 『中國文化入門』元々社(民族教養新書) 1955
  • 浦上玉堂』稀覯書刊行会 1972
  • 江戸詩人評伝集 詩誌『雅友』抄』(全2巻) 揖斐高編・解説、平凡社東洋文庫 2015[2]
訳書
  • 『支那戯曲集』編著、東方時論社 1917
  • 『東洋画論集成』(2冊組) 纂訂、読画書院 1918
    • 復刻版 講談社 1979
  • 『近二十年来の支那外交』王正廷著、今関研究室 1928
  • 『支那禅学の変遷』胡適著、東方学藝書院 1936
  • 支那戯曲物語』元々社 民族教養新書 1955
  • 詩選』(漢詩大系 16) 辛島驍共著、集英社 1966

参考記事

脚注

  1. ^ 東金市デジタル歴史館(今関天彭)
  2. ^ 『雅友』連載の評伝を集成。