仁川大学校(インチョンだいがっこう、英称: Incheon National University)は、仁川広域市延寿区アカデミー路119(松島洞12-1)に本部を置く大韓民国の国立大学である。1979年に設置された。
仁川大学校 |
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松島キャンパス本館 |
大学設置/創立 |
1979年 |
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学校種別 |
国立 |
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設置者 |
国立大学法人 仁川大学校 |
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本部所在地 |
仁川広域市延寿区アカデミー路119(松島洞12-1) |
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学部 |
人文大学 自然科学大学 社会科学大学 法科大学 工科大学 情報技術大学 経営大学 東北アジア経済通商大学 芸術・体育大学 師範大学 都市科学大学 |
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ウェブサイト |
仁川大学校公式サイト |
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2009年7月に松島(ソンド)キャンパスが完成し、9月までに南区道禾洞の旧キャンパスから移転。2010年3月には同じく仁川広域市立の仁川専門大学と統合した。2013年1月18日、仁川広域市立から国立大学法人へ転換した[1]。
歴史
仁川大学校は1979年、白仁燁の運営する善仁(ソニン)学園によって、仁川工科大学として創立された。善仁学園は、元はソングァン学園(1947年創立)だったが経営難で1958年に白仁燁の経営に移り、1965年に改称[2]。傘下の学校は一時16校を数えた[3]。学園経営に不正(不正編入学、経費横領など)があったとして、1981年に系列高校の高校生らによる抗議活動が起こり、これがきっかけとなり1982年、白仁燁は横領容疑で逮捕された。白仁燁は学園を国家に献納すると発表したが、1986年には学園の経営陣に復帰するなど、その後も善仁学園に影響力を行使し続けた。
仁川大学校の教員・学生による反白仁燁闘争を支援するために、1992年には「善仁学園事態を憂慮する仁川市民の会」が市内知識人らによって結成され、(1) 白仁燁の排斥、(2) 当局による対処、(3) 学園の市立化 を要求する嘆願書への署名運動や、不正関係者の告発などの活動を繰り広げた。その成果として1994年3月、善仁学園は廃止され、所有していた学校は仁川大学校を含めて仁川市立となり、同8月に白仁燁は仁川地方検察から業務上背任の罪で懲役1年半、執行猶予2年を申し渡された。[4]
仁川広域市には韓国の16市道(第一級行政区画)の中で唯一、(複数の学部を持つ)国立大学がなかったため[5]、2004年から仁川大の国立大学化・法人化に向けた動きが始まり[6]、2006年には市と大学との間で「国立大法人転換に関する了解覚書」が締結された[7]。その後も国立大化を視野に、松島新都市への学舎の新築移転(2009年)、仁川専門大学統合(2010年)による拡充が実施された。2011年12月30日、「国立大学法人 仁川大学校 設立・運営に関する法律案」が韓国国会本会議を通過し[8]、2013年1月18日、国立大学法人 仁川大学校に転換した。[1]
年表
- 仁川大学校
- 1979年1月10日 - 仁川工科大学として設立認可 (私立、3月12日 開校)。
- 1979年12月 - 仁川大学と改称。
- 1981年11月 - 教育大学院設立認可。
- 1984年11月 - 大学院設立認可。
- 1988年10月29日 - 総合大学へ昇格認可。11月23日、6単科大学を開設。
- 1994年3月1日 - 仁川市立となる。
- 2009年9月 - 松島キャンパスに新築移転。
- 2010年3月 - 仁川専門大学と統合。
- 2013年1月 - 国立大学法人に転換。
- 仁川専門大学
詳細は仁川専門大学#沿革を参照。
設置大学
2010年3月現在。[9]
- 新聞放送学科
- 倫理・社会福祉学部(倫理学専攻・社会福祉学専攻)
- 機械システム工学部
- 電子工学科
- 産業経営工学科
- エネルギー化学工学科
- 東北アジア国際通商学部
- 中国通商専攻
- 日本通商専攻
- ロシア通商専攻
- 米国通商専攻
- 造形芸術学部(韓国画専攻・西洋画専攻)
- デザイン学部(視覚デザイン専攻・デジタルコンテンツデザイン専攻)
- 体育学部
大学院
- 一般大学院 (일반대학원)
- 東北アジア物流大学院 (동북아물류대학원)
- 教育大学院 (교육대학원)
- 行政大学院 (행정대학원)
- 情報通信大学院 (정보통신대학원)
- 経営大学院 (경영대학원)
- 工学大学院 (공학대학원)
卒業生
キム・ダミ
関連項目
脚注
- ^ a b 国立大学法人 仁川大学校 出帆(朝鮮語)、仁川大ニュース:インサイド仁川、2013年1月18日付記事(京仁日報記事の転載)。2013年1月21日閲覧。
- ^ 善仁高等学校 学校沿革(朝鮮語)。2019年2月11日閲覧。
- ^ 以下、市立化の経緯は 大畑裕嗣 『現代韓国の市民社会論と社会運動』 2011年3月、成文堂、ISBN 9784792332822、164頁-165頁 による。
- ^ 大畑はこの市民運動について、身近な学校運営の不正を糾す側面と、「日帝残滓」の排除運動としての側面があった、と総括している(大畑によれば、白仁燁は旧日本軍で伍長を務めた)。
- ^ 国立の京仁教育大学校は存在する。蔚山広域市にも国立大学校がなかったが、同じく2004年10月に国立大学設立推進委員会が結成され、2007年に設立法制定、2009年に蔚山科学技術大学校開校という形で結実している。参照:蔚山科学技術大学校沿革(朝鮮語)、2012年1月28日閲覧。
- ^ 仁川大「国立大法人化」事実上確定(朝鮮語)、ハンギョレ 2011年12月28日付記事。2012年1月19日閲覧。
- ^ 仁川、「国立大なき悲しみ」吹き飛ばす(朝鮮語)、仁川大ニュース:インサイド仁川、2012年1月5日付記事(同日付 東亜日報記事の転載)。2012年1月19日閲覧。
- ^ 仁川大が国立大学校となる法、国会本会議通過(朝鮮語)、仁川大ニュース:インサイド仁川、2012年1月3日付記事。2012年1月19日閲覧。
- ^ http://www.incheon.ac.kr/templet.jsp?num=38&fid=03010100 2010年7月18日閲覧。
外部リンク
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