人見 俊広(ひとみ としひろ、1942年7月21日[1] [2] - )は栃木県出身[3] [1] [4]の元プロゴルファー。
来歴
那須ゴルフ倶楽部から1961年に湯河原カンツリー倶楽部へ移籍し、1965年[1]にプロテストで合格[3] [4]。
関東プロに数回出場するなどしていたが[3]、1974年にはアジアサーキットのタイランドオープンに参戦[4]。初日は強風で多くのゴルファーがプレーできなかったが、人見はコンディションの良い日に3バーディーを出す[5]。2日目には首位に立ち、3日目には地元のプラダ・ナガムプロムに並ばれ、最終日は3オーバー・パー75とやや低調なスコアで上がったが、雨で他のプロがスコアを崩す隙に、許渓山( 中華民国)、ウォルター・ゴドフリー( ニュージーランド)、イレネオ・レガスピ( フィリピン)、ナガムプロム、ゲイロード・バローズ( アメリカ合衆国)ら5人に1打差を付け、4日間通算3オーバー291で辛くも逃げ切った[3] [4]。橘田規(1966年)、石井朝夫(1967年)に続く7年ぶり3度目の日本人制覇でプロ入り初優勝を挙げ、賞金2800ドル、日本円で約84万円を獲得[3] [4]。
シニア転向後の1992年には関東プロシニアで榎本七郎と並んでの10位タイ[6]、スポーツ振興カップで小川清二・郭吉雄(中華民国)と並んでの4位タイ[7]に入ったが、1998年の日本プロシニアを最後にシニアツアーから引退[1]。
主な優勝
海外
脚注
外部リンク