井上正国

 
井上 正国
時代 江戸時代中期 - 後期
生誕 元文4年9月7日1739年10月9日[要出典]
死没 寛政3年8月13日1791年9月10日
改名 直之丞(幼名)、松平勝斯(初名)→井上正国
戒名 普山日徳玄律院
墓所 東京都文京区白山の浄心寺→染井霊園
官位 従五位下筑後
幕府 江戸幕府
主君 徳川家治家斉
下総高岡藩
氏族 尾張徳川家井上氏
父母 父:徳川宗勝、養父:井上正森
兄弟 徳川宗睦松平義敏松平勝当竹腰勝起
正国内藤頼多ほか
正室:井上正森の娘
井上正紀正室、酒井忠和正室
養子:正紀
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井上 正国(いのうえ まさくに)は、下総国高岡藩の第6代藩主。

元文4年(1739年)9月7日、尾張藩の8代藩主・徳川宗勝の十男として江戸で生まれる。はじめ父の「勝」の偏諱を受けて松平勝斯と名乗った。宝暦5年(1755年)3月22日、高岡藩主・井上正森の養子となって井上正国と名乗り、正森の娘を娶った。宝暦10年(1760年)12月7日、正森と隠居にともない家督を継いだ。12月8日に従五位下、筑後守に叙位・任官する。

宝暦11年(1761年)7月、大坂加番に任じられる。明和4年(1767年)11月8日、大坂定番に任じられ、天明8年(1788年)3月22日に奏者番に任じられるなど、諸役を歴任するが、寛政元年(1789年)3月24日に病気を理由に辞任した。

寛政3年(1791年)3月7日、養子の正紀(実兄竹腰勝起の次男)に家督を譲って隠居し、8月13日に死去した。享年53。

系譜

父母

正室

子女

養子