五十河村(いかがむら)は、かつて京都府中郡にあった村である。1956年(昭和31年)7月1日に大宮町に編入され廃止となった。現在は京丹後市の五十河地域にあたる。
歴史
1889年(明治22年)、延利村・五十河村・久住村・明田村が町村制を施行して五十河村となった[1][2]。1951年(昭和26年)には口大野村、奥大野村、常吉村、三重村、周枳村、河辺村が合併して大宮町となり、五十河村は1956年(昭和31年)6月に大宮町に編入された[1][2]。五十河村西部は大宮町との結びつきが強かったが、村東部は岩滝町との結びつきが強かったため、編入合併協議は紛糾を重ねた[3]。
沿革
参考文献
- 大宮町誌編纂委員会『大宮町誌 本編』大宮町、1982年
- 角川日本地名大辞典編纂委員会『角川日本地名大辞典 26京都府 下巻』角川書店、1982年
- 『日本歴史地名大系 26 京都府の地名』平凡社、1981年
脚注
- ^ a b 京丹後市五十河丹後の地名地理・歴史資料集
- ^ a b 宮津市史 通史編 上巻、219-220頁
- ^ 『大宮町誌 本編』、928頁
関連項目