亀島(かめじま)は、岡山県倉敷市水島にある地域である。
連島の南部を占める。現在の亀島・亀島新田・連島中央・神田からなる。矢柄は、旧亀島村域であるが、現在、大半の部分が小学校区が隣接の連島東学区となっており、含む場合と含まない場合がある。
概要
旧・亀島新田エリア
亀島・亀島新田・連島中央・神田の住所が該当。連島山塊中部の矢柄の南方に広がる平地で、近世の干拓地である。地区南端部に亀島山という丘(標高約30m)があり、かつては島であった。現在は水島工業地帯の造成や道路建設のために形を崩しているが、以前は亀のような形をしていた。地名もこの山に由来したもの[1]。
連島が島から陸続きになった後、連島は東西高梁川の河口部となったため、連島の南には広大な干潟が生まれた。延宝2年に倉敷支配所代官がこの干潟を18町歩干拓し、翌年に28町歩を干拓。ついで延宝6年には、成羽藩山崎氏が倉敷の許可のもと150町歩を干拓。これらの干拓地を併せて、南端部にあたる亀島の名を取り亀島新田村(かめじましんでんそん)と称し、元禄10年に成羽領分となり、明治に至る[1]。
『備中村鑑』では、浅口郡亀島新田村として幕末頃の石高を約8千石としているが、これには鶴新田(後述)が含まれている[2]。
明治22年6月1日に連島村から別れた矢柄村・北面新田村の旧矢柄分の一部と亀島新田村とが合併し、村制による亀島村(かめじまそん)を新設した。同36年1月1日には亀島・西之浦・鶴新田・連島の4村が合併し、連島村(のち連島町)を新設した[1]。
当地東部の東高梁川河口部の廃川地が市街地として整備され、さらに南側の干拓埋立地に水島工業地帯が造成されると、亀島新田は大型道路が整備され、宅地・事業所・商店が多く立地し人口が急増[1]。住所表記も改められ、新たな大字として亀島1〜2丁目・神田1〜3丁目、連島中央1〜5丁目などが設置され、亀島新田の地名は矢柄との境界付近にわずかに残るのみである。
矢柄
学区
- 小学校区
- 矢柄の一部・亀島新田(一部除く)・西之浦(北面・弁財天・青木・宮之浦を除く)・連島中央2-3丁目(各一部除く)・連島中央4-5丁目は連島西浦小学校区。神田・亀島の各全域および連島中央1丁目の一部は連島神亀小学校区。矢柄(一部および北面除く)および亀島新田・連島中央2-3丁目の各一部は連島東小学校区。矢柄のうち北面は連島北小学校区。
- 中学校区
地勢
- 山岳
産業
主要施設
- 行政施設
- 教育・保育施設
- 郵便局
- 連島中央郵便局 - 連島中央2
- 倉敷亀島二郵便局 - 亀島2
- 金融機関
- 水島信用金庫 矢柄支店 - 連島中央2
- 水島信用金庫 連島支店 - 連島中央5
- 労金 水島支店 - 神田2
- 岡山商銀 倉敷支店 - 神田2
- 医療機関
- 松枝病院 - 連島中央5
- 水島第一病院 - 神田2
- 企業事業所
- 商店
- ニシナ・フードバスケット 連島中央店 - 連島中央2
- ニシナ・フードバスケット 神田店 - 神田2
- モスバーガー 倉敷水島店 - 連島中央1
- ホンダカーズ倉敷南 水島店 - 連島中央4
- 娯楽施設
名所・旧跡
交通
- 道路
脚注
- ^ a b c d 巌津政右衛門 『岡山地名事典』(1974年)日本文教出版社
- ^ 岡山県大百科事典編集委員会編集『岡山県大百科事典』(1979年)山陽新聞社
参考文献
- 巌津政右衛門『岡山地名事典』(1974年)日本文教出版社
- 岡山県大百科事典編集委員会『岡山地名事典』(1979年)山陽新聞社
- 渡辺光・中野尊正・山口恵一郎・式正英『日本地名大辞典2 中国・四国』(1968年)朝倉書店
- 下中直也『日本地名大系第三四巻 岡山県の地名』(1988年)平凡社
- 黒田茂夫『県別マップル33 岡山県広域・詳細道路地図』(2010年)昭文社
外部リンク
関連項目