称号:王
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久邇 邦昭(くに くにあき、1929年〈昭和4年〉3月25日 - )は、日本の旧皇族。久邇宮第4代当主。元実業家、元神職。皇籍離脱前の名と身位は邦昭王(くにあきおう)。香淳皇后 (昭和天皇后) の甥であり、第125代天皇・明仁(上皇)の従兄にあたる。日本国憲法・現行皇室典範施行後も皇族であったが、GHQの指令により昭和22年 (1947年) 10月14日皇籍離脱した。北朝3代崇光天皇男系19世孫(伏見宮邦家親王男系4世孫)。
略歴
1929年(昭和4年)3月25日午後3時35分、東京帝国大学医学部付属病院にて、久邇宮朝融王と同妃知子女王の第1男子として誕生[2]。御七夜の3月31日に「邦昭」と命名された[3]。1935年(昭和10年)4月、学習院初等科に入学、戦時中は海軍兵学校(77期)へ進むが、途中で終戦となる。戦後は、連合国軍占領下において、1947年(昭和22年)10月14日に他の皇族と共に臣籍降下(皇籍離脱)した[4]。1951年(昭和26年)3月、学習院大学政治経済学部卒業後、川崎汽船に勤務し、取締役を務めた。
同社退職後は、伊勢神宮の大宮司(1990年 - 2001年)、神社本庁統理(2001年 - 2011年)、霞会館理事長(1991年 - 2007年)[5]、日本会議顧問[6]などを務めた。伊勢神宮の大宮司に就任するにあたり、雅楽を研究するため武蔵野音楽大学に入学、卒業した。
栄典
血縁
香淳皇后は叔母、第125代天皇・明仁(上皇)は従弟にあたる。娘の久邇晃子は、かつて今上天皇の妃候補の一人に挙げられたこともある。
系譜
このように両親が皇族であり、明仁上皇の従兄に当たるなど、現皇室とも血縁的に極めて近いことから、21世紀以降に表面化した、皇族男子(親王・王)の不足による皇位継承問題が指摘される中で、その存在が注目を集めている。
脚注
文献
関連項目
神社本庁統理(第7代:2001年 - 2011年) |
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統理 | |
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代務者 | |
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