久留島 通清(くるしま みちきよ)は、江戸時代前期の大名。豊後国森藩3代藩主。官位は従五位下・信濃守。
略歴
2代藩主・久留島通春の長男として誕生。幼名は吉松。初名は通次。
寛永13年(1636年)5月28日、3代将軍徳川家光にお目見えする。明暦元年(1655年)7月13日、父の死去により、家督を継いだ。このとき、弟の通貞に岩室村など1000石、もう1人の弟通迥(みちとお)にも綾垣村、木牟田村など500石を分与したため、1万2500石の領主となる。明暦2年12月18日、従五位下信濃守に叙任した。
藩政においては父時代の側近をすべて排除し、新参者の薄葉氏や浅川氏らを重用して藩主権力の強化を図った。元禄13年(1700年)9月29日、森にて死去した。享年72。跡を長男・通政が継いだ。法号は瑞雲院。墓所は森の安楽寺。
系譜
父母
正室、継室
側室
子女
脚注
- ^ 毛利高重の養子。
- ^ 毛利高久の養子。
久留島氏 森藩3代藩主 (1656年 - 1700年) |
---|
|