丹波市町(たんばいちちょう)は、1954年まで、奈良県山辺郡にあった町。現在の天理市中心部から東の山間部にかけての一帯にあたる。山辺郡の中心として郡役所の所在地でもあった。
歴史
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、滝本村、苣原村、上仁興村、下仁興村、藤井村、内馬場村、布留村、勾田村、川原城村、三島村、丹波市村、御経野村、田村、守目堂村、石上村、田部村、別所村、豊井村、豊田村、岩屋ヶ谷村が合併し、山辺村が成立。
- 1893年(明治26年)9月26日 - 町制施行し、丹波市町に改称。
- 1954年(昭和29年)4月1日 - 山辺郡朝和村、福住村、二階堂村、磯城郡柳本町、添上郡櫟本町と新設合併し、天理市が成立。同日丹波市町消滅。
町名の由来
1893年(明治26年)、山辺村から丹波市町に改称。丹波市は山辺村の大字である「丹波市」(旧丹波市村)にちなむ。古くは単に丹波と呼ばれ、その名の由来は「旧事紀」天孫本紀に物部布都久留の三男「物部多波連公(もののべのたはのむらじのきみ)」という人物が見られ、その住居があったことから(大和志料上)、あるいは丹波国から市神であるエビス神を勧請(現在の市座神社)したことにちなむともいう[1]。中世以降、市場の発展により丹波市(たんばいち)と呼ばれるようになった。
脚注
関連項目