中西永輔
中西 永輔(なかにし えいすけ、1973年6月23日 - )は、三重県鈴鹿市出身の元プロサッカー選手。現役時代のポジションはディフェンダー、ミッドフィールダー、フォワード。元日本代表。 どのポジションでもプレーできるユーティリティプレイヤーで、市原時代はチーム事情によりトップ下やフォワードで出場した時期がある。 1998 FIFAワールドカップ日本代表メンバー。 来歴クラブ高校時代は三重県立四日市中央工業高等学校に在学し、小倉隆史、中田一三とともに3年時の高校総体では3位、高校選手権では初優勝(帝京高校と両校同時優勝)に貢献した。水原大樹は1学年下である[2]。 高校卒業後の1992年にジェフユナイテッド市原に入団し、長きにわたり主力として活躍。ゴールを決めた後はバック宙を披露していた。 2004年にクラブから戦力外通告を受け、横浜F・マリノスへ移籍。新天地ではスタメンを外れることが多かったが、チームのリーグ連覇に貢献。2005年リーグ第15節の名古屋グランパスエイト戦で史上10人目のJリーグ通算300試合出場を達成した。2006年11月28日、クラブから戦力外通告を受け退団。その後移籍先を模索していたが、2007年6月22日に現役引退が発表された。 代表1997年に加茂周体制で代表デビュー。当初は両サイドバックの控え要員だったが、新監督の岡田武史に対人ディフェンス力を買われ、翌年に開催されたフランスW杯ではレギュラーのストッパーとして出場した[1]。初戦のアルゼンチン戦ではクラウディオ・ロペスのマークを担当し完封、岡田からも称賛されたが、アルゼンチン戦とクロアチア戦で1枚ずつイエローカードを貰い、ジャマイカ戦には出場停止となった。トルシエ体制においても日韓W杯が開催された2002年まで度々招集され続けた。五輪メンバーが合流する前のFWの人材不足の時期にFW起用されることが多く、逆に本職のDFでの出番は少なかった。W杯も含め重要な大会のメンバーには選出されなかった。 引退後2008年3月、元五輪日本代表松原良香が主催する、フェリーチェFC[3] のコーチに就任した。 所属クラブ
個人成績
その他の公式戦
その他の国際公式戦
その他
代表歴出場大会など
試合数
出場
脚注関連項目
外部リンク
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