中家村(なかやむら)は茨城県新治郡にかつて存在した村である。現在の茨城県土浦市の南部に位置し、一中地区および四中地区のそれぞれ一部に相当する。
歴史
沿革
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により、信太郡宍塚村・佐野子村・飯田村・矢作村・下高津村・中高津村・上高津村・小松村および新治郡粕毛村が合併して信太郡中家村が発足。宍塚・佐野子・飯田・矢作・下高津・中高津・上高津・小松・粕毛がそれぞれ中家村の大字となる。村役場は下高津に設置された[1]。
- 1896年(明治29年)3月29日 - 信太郡消滅、新治郡中家村。
- 1937年(昭和12年)4月1日 - 新治郡土浦町に編入。同日中家村廃止。9大字は土浦町に継承[1]。
- 1940年(昭和15年)11月3日 - 新治郡土浦町と同真鍋町が合併し、土浦市が発足。
大字
現在はすべて土浦市の大字として継承されている。
上記のうち下高津・中高津・上高津・小松は現在の土浦市の四中地区、矢作・飯田・佐野子・宍塚・粕毛は一中地区である。
地域
村役場
現在の土浦市下高津2丁目、銭亀橋脇の旧水戸街道沿い(現況は民有地)。中家村役場が置かれる前は戸長役場があった。役場庁舎は1892年(明治25年)に335円をかけて建設された。
教育
人口・世帯
人口
総数 [単位: 人]
世帯(戸数)
総数 [単位: 世帯]
1891年(明治24年) | 535 |
1920年(大正9年) | 704 |
1935年(昭和10年) | 876 |
関連項目
脚注
参考文献
- 『市町村名変遷辞典』東京堂出版、1990年。
- 土浦市文化財愛護の会古写真調査研究部 編 編『むかしの写真土浦』土浦市教育委員会、1990年3月31日、208頁。 全国書誌番号:91013150