中塚 元太郎(なかつか もとたろう、1896年9月1日[1] - 1972年10月9日[1])は、日本の政治家。岡山県児島市(現・倉敷市)長。
来歴
岡山県児島郡小田村出身[1]。旧制矢掛中学校(現・岡山県立矢掛高等学校)、早稲田高等学院を経て、1920年、早稲田大学英法科を卒業する[1]。証券会社に勤務した後は帰郷し、小田村収入役となる[1]。その後、退職し、朝鮮に渡り、農場、酒造、漁業に従事する[1]。再び帰郷し、1942年、児島町(小田村は1928年に町制施行し、児島町に改称)会議員、1947年、児島町長となり[1]、翌1948年、児島市の発足により児島市長となる[1]。2期務めた後、1956年の市長選では元助役の中村純雄に敗れるが[1]、4年後の1960年に中村を破り、市長に返り咲いた[1]。市長は倉敷市と合併するまでの1967年まで務め、合併後の倉敷市の市長職務執行者となった[1]。合併から5年後の1972年に死去した。
脚注
参考文献
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1967年1月15日合併 |
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合併後 | |
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