上松 泰造(うえまつ たいぞう、1868年11月1日(明治元年9月17日) - 1949年(昭和24年)8月2日)は、明治から昭和時代前期の大地主[3]、政治家、銀行家。貴族院多額納税者議員。
経歴
関谷與藤治の二男[3]、関谷醇三の弟としてのちの岐阜県[注 1]に生まれ先代上松治郎一の養子となり1905年(明治38年)1月、家督を相続する。岐阜県師範学校を経て、東京法学院を卒業する。農業を営む傍ら、濃飛農工銀行、岐阜貯蓄銀行、第十六銀行各取締役、鏡島銀行頭取、岐阜不動産、岐阜信託各取締役、岐阜県農会長、稲葉郡農会副会長などを歴任した。
1915年(大正4年)岐阜県多額納税者として貴族院議員に互選され、同年10月2日[5]から1925年(大正14年)9月28日まで在任した。さらに1932年(昭和7年)にも貴族院議員に互選され、同年9月29日に就任し[6]、研究会に所属し1939年(昭和14年)9月28日まで在任して通算2期務めた。
親族
脚注
注釈
出典
- ^ a b c 『大正人名辞典 第3版』1126頁。
- ^ 『官報』第952号、大正4年10月4日。
- ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、42頁。
参考文献