三浦 盛徳(みうら せいとく、安政7年2月25日(1860年3月17日) - 1916年(大正5年)9月17日)は、日本の衆議院議員(立憲政友会)。
経歴
出羽国山本郡鵜川村(現在の秋田県山本郡三種町)出身。三浦富吉の三男で、三浦久右衛門の養子となり家督を継いだ[4]。同人社、慶應義塾で学んだ。小学校訓導を務めた後、山本郡会議員、秋田県会議員に選出された。
1903年(明治38年)、第8回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。第11回まで連続当選を果たした。
家族
- 父・三浦富吉[4]
- 養父・三浦久右衛門[4]
- 妻・イサ(慶應元、九生、兒玉辰門の三女)
- 女・キク(明一九、一一生、日本女子大学校卒業、同校理科助教諭)
脚注
参考文献
- 衆議院・参議院編『議会制度七十年史 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1962年。
- 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。
- 鷹居匡『第二十八議会衆議院議員写真列伝』経済時報社、1912年。