ヴラス・ヤコヴレヴィチ・チュバーリ(ロシア語: Влас Яковлевич Чубарь、ラテン文字表記の例:Vlas Yakovlevich Chubar、1891年2月22日 - 1939年2月26日)は、ロシア帝国の革命家、ソビエト連邦の政治家。ウクライナ人。
生涯
ロシア帝国時代のウクライナの都市エカテリノスラフ(現在のドニプロペトロウシク)近くのフェドリフカ(ВФёдоровка)の農民の家庭に生まれる。早くからマルクス主義に傾倒し、1907年にロシア社会民主労働党に入党。
ロシア内戦終結後の1921年にソビエト連邦共産党中央委員会の一員となる。1923年7月13日にはクリスティアン・ラコフスキー(英語版)の後任としてウクライナ人民委員会議議長に就任。1926年11月にはソ連共産党政治局入りし、政治局員候補に選出された。
1934年からモスクワに移り、ソ連人民委員会議副議長およびソ連労働防衛評議会(ロシア語版)副議長を務める。1935年2月には政治局員に昇格した。1937年8月16日から翌1938年1月19日までソ連財務人民委員(英語版)を務めたが、大粛清により1938年6月に逮捕され、1939年2月に銃殺された。
ヨシフ・スターリン死後の非スターリン化にともない、1955年に名誉回復された。