現在のロシア連邦の都市であるヴィボルグに路面電車が開通したのはロシア帝国時代の1912年9月28日であった。この路線はヴィボルグ市議会とドイツのAEGの契約の下で建設され、運営はAEGの子会社であるヴィボルグ発電・路面電車会社(Elektricitätswerk und Strassenbahn Wiborg AG)によって実施された。その後、ロシア革命の中で独立したフィンランドでは内戦が勃発し、同国の路面電車となったヴィボルグ市電(当時はヴィープリ市電)もその影響を受けて1917年以降運休を余儀なくされたものの、1918年までに営業運転を再開した[1][2][3][4]。
フィンランドの路面電車の多くが各市の公営組織による運営に切り替えられた一方、ヴィボルグ市電(ヴィープリ市電)は1930年代まで民間企業のヴィープリガス・電気会社(Viipurin Kaasu ja Sähkö Oy)によって運営されていた。だが、同社とヴィボルグ市(ヴィープリ市)との間で運賃や管理体制による衝突が起きた末、1936年に仲裁判断によって発電所や市電の運営権はヴィープリ市へと売却された。こうして翌年以降市電は公営組織による運行に切り替えられたが、僅か2年後の1939年、冬戦争の開戦に伴い再度の運行停止を余儀なくされた。その後、1940年に同市がソビエト連邦(ソ連)に編入された事で同年に運行を再開したものの、大祖国戦争の勃発による戦災を受けて1944年に三度目の全線運休状態となり、本格的な復旧が始まったのは戦後の1946年9月21日となった[1][2][3]。