夫の死後、フィールズはテレビの音響編集者としてのキャリアをスタートさせ、『Death Valley Days』や、子供向け番組『Sky King』『Fury』の制作に関わった。自宅にフィルム編集室を設け、子供が幼いうちは夜でも仕事ができるようにしていた。そして子どもたちに自分は「土曜の朝の女王」だと言っていた[3]。
1956年までに映画製作にも関わるようになる。音響編集者として最初にクレジットされたのは、フリッツ・ラングの『口紅殺人事件』(1956年)であった。1959年の実験的なドキュメンタリー映画『The Savage Eye』にも関わり、この作品の共同監督であったベン・マドー、シドニー・マイヤーズ、ジョセフ・ストリックや、その他の人脈を得ることに繋がり、後のキャリアにおいて重要なものとなった。1961年のアンソニー・マン監督の映画『エル・シド』においてゴールデン・リール賞のベスト音響編集部門(Best Sound Editing – Feature Film)で受賞を果たした[3]。
フィールズの映画編集者としてのキャリアは、1960年のアーヴィング・ラーナー監督による『青春のさまよえる時』から始まった。ラーナーもまた『The Savage Eye』の制作に関わっていた一人であった。その後、1963年にマドーが監督した『An Affair of the Skin』の編集を担当し、以降、5年間はインディペンデント映画(メジャースタジオ以外の映画のこと)の編集に携わっていた。この時期に最もよく知られた仕事はディズニー映画の『少年と鷲の伝説』(1967年)であった。また、経済機会局(OEO)、広報文化交流局(USIA)、保健教育福祉省(HEW)を通じて、米国政府から資金提供を受けたドキュメンタリー作品も制作した[3][4]。
1967年、広報文化交流局(USIA)によるドキュメンタリー映画『Journey to the Pacific(太平洋への旅)』(1968年、ゲイリー・ゴールドスミス監督・脚本)においてフィールズは、ジョージ・ルーカスを雇って編集を手伝わせたことがあった[10]。
この時、フィールズはマーシア・グリフィンも雇ってルーカスに紹介しており、この出会いが、後に2人の結婚につながった。
1972年、ルーカスが監督した『アメリカン・グラフィティ』(1973年) の製作において、ルーカスは編集を妻マーシアに任せるつもりであったが、配給のユニバーサルの要求により、編集チームにフィールズも加わることとなった。ポストプロダクションが始まった最初の10週間で、ルーカスとマーシアは、フィールズやウォルター・マーチ(音響編集者)と共に、165分のオリジナル版を完成させた。この作品の40以上のシーンには映画の舞台となった1962年頃に流行したBGMが断続的に流れていた[11]。
マイケル・スラゴウ(英語版)は、この効果を「ロックンロールを、ビートの効いたギリシャの合唱のように使っている」と評した[12][13]。
1981年にはウーマン・イン・フィルム(Women in Film、WIF)が主催し、長年の従事と優れた作品によって、エンターテインメント業界における女性の役割拡大に貢献した優れた女性に贈られる「ウーマン・イン・フィルム クリスタル賞(Women in Film Crystal Award)」を受賞した[29]。
^ abcdeMurphy, Mary (1975). "Fields: Up From the Cutting Room Floor", Los Angeles Times July 24, 1975.
^Irving Lerner had recommended her to Bogdanovich; see "Film Editors' Forum", Editors Guild Magazine Vol. 27, No. 3 (May–June 2006). Online version retrieved January 6, 2008.
^Warren, Bill (undated). "Review of Targets DVD", webpage of "Audio/Video Revolution", archived by WebCite from the original February 26, 2008. The DVD was released on August 12, 2003.
^McBride, Joseph (1984). “The Editor: Verna Fields”. Filmmakers on Filmmaking: The American Film Institute Seminars on Motion Pictures and Television, Vol. One. Los Angeles: J. P. Tarcher. pp. 139–149. ISBN978-0-87477-267-8
^Donn Cambern is credited as the editor for The Last Picture Show. According to Bogdanovich's commentary on the film's DVD release, this credit was nominal; Bogdanovich had edited the film himself, as he had done for Targets.
^“Journey to the Pacific”. Dimension Films, United States Information Agency. 2022年11月20日閲覧。
^Lucas, George (1998). George Lucas refers to the sound track as acting as a Greek chorus in his interview in Laurent Bouzereau, The Making of American Graffiti (supplement to the 1998 DVD release of American Graffiti).
^Maltin, Leonard (ed.) (2003). Leonard Maltin's 2004 Movie and Video Guide (Penguin), p. 715.
^Buckland, Warren (2006). Directed by Steven Spielberg: Poetics of the Contemporary Hollywood Blockbuster (Continuum, New York). ISBN978-0-8264-1692-6.
^ abBordwell, David (2002). “Intensified Continuity: Visual Style in Contemporary American Film”. Film Quarterly55 (3): 16–28. doi:10.1525/fq.2002.55.3.16. Bordwell illustrates the "wipe-by" cut using the scene in Jaws of Brody, who is fearful of a second shark attack, anxiously surveying the waters crowded with swimmers. Bordwell attributes the name "wipe by cut" to Verna Fields.
^Gregory, Mollie (2003). Women Who Run the Show: How a Brilliant and Creative New Generation Stormed Hollywood (St. Martin's Press), p. 45. ISBN0-312-30182-0.
^ abRosenfield, Paul (1982). "Women in Hollywood", Los Angeles Times July 13, 1982.
^“Women in Film - Foundation”. February 23, 2008閲覧。. Webpage describing the Foundation's scholarship programs, including the Verna Fields Memorial Fellowship.