ワイス郡にはオースティンビルという町があり、有名なスティーブン・オースティンの父であるモーゼス・オースティンとその兄弟のスティーブンが設立した。1790年代、オースティン兄弟は鉛と亜鉛を産出する鉱山を取得した。町の名はオースティンという姓から付けられたものであり、兄弟の中の誰かを指すものではない。鉛が採掘され新生間もない国中に搬送された。散弾も製造された。フォスターズフォールズ近くにジャクソン・フェリー・ショット・タワーが現在も立っており、ワイス郡民への遺産となっている。鉛は牛の力と滑車装置を使ってこの塔の上に揚げられた。鉛がレトルトの中で融かされ、塔の頂部にある篩いを通して注がれた。溶けた鉛の滴が150フィート (45 m) 落下する間に丸くなった。弾丸は湯沸かしの中に集められ、奴隷労働者[3]がニュー川岸近くに掘られた110フィート (3 m) のトンネルを通って、湯沸かしの中の弾丸を回収した。
新しくアメリカ合衆国環境保護庁標準が成立し、鉛の市場も小さくなったために、この鉛鉱山は1982年に閉鎖された。坑道は水で埋められており、メインシャフトは1,100フィート (330 m) 以上下に伸びていた。
郡内でもう一つ注目すべき地域として、フレンチ・インディアン戦争当時の砦に因むフォートチスウェルの未編入町がある。この砦と周辺の建物は郡庁所在地として機能していたが、そこから約10マイル (16 km) 西にウィスビルの町が設立されて、役目を終えた。この砦は荒廃し、1970年代に州間高速道路77号線と同81号線の交差点が建設されたときに、その廃墟も下にもぐった。砦があったおおよその場所にピラミッド型の記念碑が建てられている。砦の名前は、オースティンが買収(1757年)する前に鉛鉱山設立に貢献したジョン・チスウェル大佐に因む命名だった。