16歳で、240cm、166kgとなり、17歳で248cm、180kg、18歳で 254cm、177kg、靴は37AA (約49cm)が必要だったが、全国を廻ってメーカーを宣伝する代わりに無料であつらえてもらえた。1936年、Alton High School を卒業したワドローは法律を勉強しようと en:Shurtleff College に入学した。1937年、人類の身長の記録を書きかえた。19歳で260cm、197kgとなった。21回目の誕生日、最大の体重を記録した(233kg)。
晩年
このような体格はワドローにとって負担となっていった。歩行のためには副木が必要であり、脚部や足部の感覚が弱くなっていた。また、インフルエンザにも悩まされ幾度か入院している。身長が急激に伸びながら体重が逆に低下する時期があるのはそのためである。21歳では、265cmの身長になった。死亡の18日前、1940年6月27日、272cmの身であると記録された。測定したのはセントルイスのワシントン大学の医師 C. M. Charles 及び Cyril MacBryde であった。死の床にあっても身長の伸びは止まっておらず、納棺前に測定した際には274cmを記録した(記録に裏付けはありギネスブックにも一応記載はあるが死後の測定という理由で非公式記録扱い)。このため「あと1年生きていれば人間の身長の限界といわれる9ft(274.32cm)を突破できた」と言われている。
1940年7月4日、National Forest Festival にプロとして出演している間に入院した。副木の具合が悪くなり膝をこすったため、そこから炎症がおき、酷い感染を引き起こしたのである。輸血と緊急手術が行われたが奏効せず、1940年7月15日、敗血症により意識不明のまま永眠した。22歳没。