ロジェ・ド・ラ・フレネー(Roger de La Fresnaye、1885年7月11日 - 1925年11月27日)はフランスの画家である。「キュビスム」の画家の一人である。
略歴
フランスの西部、サルト県のル・マンで生まれた。父親はノルマンディのファレーズに邸を持つ名家の陸軍士官で、ル・マンに駐留していた時にロジェ・ド・ラ・フレネーは生まれた。
パリで絵の勉強を始め、1904年から1908年まで、アカデミー・ジュリアンとパリ国立高等美術学校で学んだ後[1]、ポール・ゴーギャンの影響を受けた「ナビ派」の画家のモーリス・ドニやポール・セリュジエが教えていたアカデミー・ランソンで学んだ。
1910年代の初めには、グランド・ショミエール芸術学校でアリスティド・マイヨールに彫刻も学んだ。ド・ラ・フレネーは、キュビスムの美術家グループの「ピュトー・グループ」に1911年に参加し、その展覧会「セクション・ドール」に出展した。キュビスムのスタイルで人物画、風景画や静物画を描いた。1914年にパリで個展を開いた。
第一次世界大戦が始まると、志願して歩兵として戦場にでて、この間前線の兵士の日常も描いた。1918年に毒ガス攻撃の被害を受け、呼吸器を痛めた。その後兵役から解除された[2]。療養のため南フランスで暮らすが、1925年に結核性の病気で40歳でグラースで死去した。
作品
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砲兵 (1911)
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静物画 (1912)
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結婚生活 (1913)
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牛飼い (1921)
脚注
参考文献