1949年、「So Long」でデビュー。ヒットとなり、1950年にリリースしたルディ・トゥームズ作曲の「Teardrops from My Eyes」もこれに続いた。この陽気な調子をもつ曲は、ビルボード誌のR&Bヒットチャートの1位を11週連続で占め、R&B歌手としてのルース地位を確立したものとなった。彼女には「ミス・リズム」のニックネームが使われるようになり、またR&Bの女王[4]としても知られることとなり、「R&B」とは「Rhythm and Blues」ではなく「Ruth Brown」を略しているとまで言われた。
ルースのヒット曲は、「I'll Wait for You」「I Know」(1951年)、「5-10-15 Hours」「ママ、あの人ったらひどいのよ」((Mama) He Treats Your Daughter Mean)(1953年)、「Oh What a Dream」「Mambo Baby」(1954年)、「Don't Deceive Me」(1960年)と続いた。また「Little Miss Rhythm」「The girl with the teardrop in her voice」も彼女の代表曲として知られている。彼女のレコードは、1949年から1955年にかけてR&Bレコードチャート・トップ10に149週間にわたりチャートインするほどヒットした。その16曲のうち5曲は1位を記録した。彼女はアトランティック・レコードの看板歌手として活躍し、社のビルは「ルース御殿」とまで呼ばれる程だった。
復帰
1960年代に入ると、ルースは家庭を優先してあまり公的な活動をしなくなっていた。しかし1975年にコメディアンのレッド・フォックスに切望されて復帰。シチュエーション・コメディの『ハロー・ラリー』、ジョン・ウォーターズの映画『ヘアスプレー』ではファンキーなレコード店の店主役で、またトニー賞を受賞したミュージカル『ブラック・アンド・ブルー』などへの出演もこなしつつ、歌手としてもミュージカルの曲を集めたアルバム『ブルース・オン・ブロードウェイ』(1989年)でグラミー賞最優秀女性ボーカル賞を受賞した。1989年にはPioneer Awardを受賞し、1993年にはThe Queen Mother of the Bluesとしてロックの殿堂入りを果たした。また、1993年にはB.B.キングのアルバム『ブルース・サミット』にフィーチャリング・ゲストとして参加。その後も、同じくロックの殿堂入りしているチャールズ・ブラウンと共演したり、1990年代後半には女性ブルース・ギタリストのパイオニアのひとりボニー・レイットと公演ツアー「Road Tested」をこなすなどの活躍を見せていた。また、1995年には自伝『Miss Rhythm』を発売、音楽ジャーナリストを対象としたGleason Awardを受賞した。