ルボー1世(Rotboald I, 907年頃 - 950年頃)は、プロヴァンスの伯(アヴィニョン伯とも考えられている)。プロヴァンス家の祖である。
出自
ルボー1世は、トスカーナ辺境伯、アルル伯およびアヴィニョン伯であったボソとその最初の妻(出自および名は不詳)の長男と考えられている。しかし、ボソの妻はウィラ一人しか確認できず[1]、ウィラとの間には4人の娘しかいなかったことから、ルボーの出自を不明とする歴史家もいる。
生涯
父とされるボソは912年にウィラと結婚していることから、ルボーは早くに母親と死別したと見られる。ルボーに関しては、ほとんど資料が残っていないが、息子ボソ2世の寄付に関する記述がある965年3月の「Cartoulaire de Marseille Saint-Victor Tome I 」29番に、ボソ2世の父として言及されている[2]。
いかなる記録にもルボーに関する記述が見られないことから、931年に父ボソがトスカーナ辺境伯となったときに、ルボーは父とは同行しなかったとみられる[3]。
ルボーの没年月日については、950年頃であること以外、不明である[4]。
子女
ルボーの妻に関しては不詳であるが、一説にはアキテーヌ公ギヨーム1世の娘エルマンガルドとも言われている[4]。ルボーには2人の息子がいる[5]。
- ボソ2世[2](? - 966年頃) - アルル伯、プロヴァンス家の祖。
- ギヨーム[2](? - 965年3月以降) - アヴィニョン伯
脚注
参考文献
- C. W. Previté-Orton, "L'Italia nel X secolo", cap. XXI, vol. II (L'espansione islamica e la nascita dell'Europa feudale) della Storia del Mondo Medievale, 1999, pp. 662–701.