外人部隊解散後、ルイはシャルル・ド・ゴール率いる自由フランス軍に参加するため、イギリスに向かおうとするがドイツ軍に逮捕される。釈放後も「ルイ・モニエ(フランス語: Louis Monnier)」の偽名を使ってレジスタンス組織「軍事抵抗組織(英語版)」(ORA)に加わり、レジスタンス運動に参加している[1]。1944年7月、ルイの所属していたORAのシャルル・マルテル旅団(フランス語版)に同じく参加していた族弟のジョアシャン・ミュラ7世(英語版)を戦闘で失い、8月28日には同旅団の一群がドイツ軍の攻撃を受け、ルイ以外のメンバーは全員戦死した[1]。負傷したものの一命を取り留めたルイは、怪我から回復するとフランス軍の山岳師団に志願し、その師団で終戦を迎えた。後にフランス政府からその功績を讃えられ、勲章を授与されている。