ルイス・ソウサ・フェレイラ(Luis Alfonso de Souza Ferreira Huby、1908年10月6日 - 2008年9月29日)は、ペルー・リマ出身のサッカー選手。ペルー代表草創期の名選手。
経歴
1908年10月6日にリマで誕生した。1926年に18歳で、地元リマの名門チームウニベルシタリオ・デポルテスに入団。瞬く間に頭角を現し、1929年,1934年と2回のプリメーラ・ディビシオン制覇に貢献した。1934年の引退までデポルテスを離れる事のなかったフランチャイズ・プレイヤーでもあり、在籍8年間でリーグ戦180試合に出場し、157得点を記録した。
ペルー代表には1929年に初招集された。翌1930年のFIFAワールドカップ第1回大会にも出場し、グループリーグ3・初戦のルーマニア戦(エスタディオ・ポシトス〈モンテビデオ〉)で、0-1で迎えた後半30分に同点ゴールを決めた(試合自体はその後ルーマニアに追加点を奪われ、1-3で敗戦)。これはペルー代表のFIFAワールドカップにおける初得点でもあった。次の1934年イタリアW杯予選のメンバーにも選ばれたが、チームはイタリアへの旅程が遠い事に途中棄権[1]し、本大会出場は潰えた。代表通算では2試合出場、先の1930年W杯での得点が唯一の代表で挙げた得点である。
引退後も長寿を保ち、100歳の誕生日を7日後に迎えた、2008年9月29日にラ・プンタで99歳359日の大往生を遂げた。1930年W杯に出場したペルー代表選手において、最後の存命者だった。また、生没年月日が判明しているペルー代表選手では最長寿記録である[2]。
タイトル
- ウニベルシタリオ・デポルテス
脚注
- ^ この大会の予選では、同じような理由(旅程の遠さや財政面での理由)で他にギリシャ,トルコ,チリが予選にエントリーしながら途中棄権している。
- ^ フェレイラの死後、同じく1930年W杯に参加した、フランシスコ・バラージョ(アルゼンチン)が1930年W杯出場選手中における最後の存命者となった。バラージョはナショナルチームに選ばれ、国際Aマッチに参加した世界中の全選手(生没年月日が判明している選手のみ)史上初めて、100歳の誕生日を迎え、2010年8月30日に100歳206日で大往生を遂げた。これが2015年現在における、世界中の各国代表経験選手の最長寿記録となっている。
出典