リリアン・J・ブラウン(Lilian Jackson Braun Bettinger[1]、1913年6月20日[2] - 2011年6月4日[2])は、アメリカ合衆国の推理作家。代表作は、2匹のシャム猫「ココとヤムヤム」と記者のジェイムズ・クィラランらが主人公の「シャム猫ココシリーズ」。
経歴
10代の頃からミシガン州デトロイトの新聞『デトロイト・ニュース(英語版)』にスポーツの詩や、デトロイトのデパートの広告記事などを書いていた。その後は同じくデトロイトの新聞社である《デトロイト・フリー・プレス(英語版)》に記者として1979年に退職するまで約30年勤めた。
1962年、飼い猫のシャム猫がマンションの10階から突き落とされて殺された怒りと悲しみを忘れるために、記者業の傍ら執筆した短編「マダム・フロイの罪」(原題:The Sin of Madame Phloi)が『エラリー・クイーンズ・ミステリ・マガジン』6月号に掲載され作家としてデビューした。この作品は「The Best Ditective Stories of 1963」に選出され、エラリー・クイーンに「もっと猫の話を書くよう」勧められたことから、ココ・シリーズ執筆の契機となった。
1966年から1968年にかけて、『猫は手がかりを読む』(原題:The Cat Who Could Read Backwords)、『猫はソファをかじる』(原題:The Cat Who Ate Danish Modern)、『猫はスイッチを入れる』(原題:The Cat Who Turned On and Off)の3作を出版したが、当時、猫は不人気のペットであったため第4作『猫は殺しをかぎつける』(原題:The Cat Who Saw Red)は出版社の事情でお蔵入りとなり、その間に夫の死など生活に追われている内に、シリーズのことは忘れてしまったという。
その後、『猫は殺しをかぎつける』の原稿を読んだ再婚相手で俳優のアール・ベッティンガー (Earl Bettinger) の薦めで原稿をバークリー・ブックス(ペンギン・グループの傘下)に送り、1986年に約18年ぶりに作家として復帰し(当時73歳)、前3作も同社から再版され、ベストセラー作家の仲間入りを果たした。同作はアメリカ探偵作家クラブ賞の最優秀ペーパーバック賞にノミネートされた。その後も精力的に執筆を続け、生涯に長編29冊、短編集1冊、番外編2冊を発表した。
ココシリーズは、2007年1月に第29作『猫はひげを自慢する』(原題:The Cat Who Had 60 Whiskers)が出版された後、第30作として『The Cat Who Smelled Smoke』のタイトルが発表されていたが、刊行には至らなかった。晩年はノースカロライナ州トライオンに夫と2匹の猫と共に暮らし、2011年6月4日にサウスカロライナ州ランドラムのホスピスで死去した。尚、ブラウンはプライベートに関しては秘匿する方針を貫いていたため、正確な生年月日は編集者も知らず、彼女の死去と共に明かされた。生前のインタビューでは「精神年齢は35、肉体年齢は50、実年齢はお答えしないことにしています」と語っていた。
また、彼女は「テクノフォビア」という最新技術に対して恐怖症ともいうべき症状を有していたようで、執筆にはタイプライターを使い続けていた。
作品リスト
シャム猫ココシリーズ
シリーズの詳細についてはシャム猫ココシリーズ参照。 日本語の翻訳版は羽田詩津子の訳でハヤカワ・ミステリ文庫から刊行されている。
その他
- 猫は14の謎を持つ The Cat Who Had 14 Tales(1988年) - 猫が登場するがココ・シリーズではない
- Qwilleran's Short and Tall Tales【短編集・未訳】(2002年) - ココ・シリーズの主人公クィラランが作中で企画した作品
- 猫は日記をつける The Private Life of the Cat Who... Tales of Koko and Yumyum from the Journal of James Mackintosh Qwilleran(2003年) - クィラランが書いた日記という設定で書かれた作品
脚注
出典
- 「ココ・シリーズは永遠に」 羽田詩津子 『ハヤカワ・ミステリ・マガジン』(早川書房)2011年10月号 p.117 - p.121
外部リンク