ラーニー・パドミニー(Rani Padmini)は、インド、メーワール王国の君主ラタン・シングの王妃。パドマーヴァティー(Padmavati)とも呼ばれる。
生涯
伝承によると、パドミニーはシンガルドゥウィーパ(スリランカ)の王女で、ラタン・シングは7つの海を渡り、多くの冒険を重ねてチットールガルへと戻ったという。ただし、これは100年以上たってから語られ始めたので、歴史家たちはこれを単なる伝説と見ている[1]。
1303年、デリーのハルジー朝に首都チットールガルが包囲され、ラタン・シングはチットールガル城に籠城した[1][2]。その原因はその君主アラー・ウッディーン・ハルジーがグジャラートに侵攻する際、メーワール王国内の通過を拒否したことにあった[1]。また、アラー・ウッディーンはラタン・シングの王妃パドミニーに大変愛着を抱き、横恋慕しようとしたとも伝えられる[1]。
包囲はこの年の1月から8月まで続き[3]、ハルジー朝の軍勢は城に激しい攻撃をかけた[1]。その間、ラタン・シングは講和を求めて降伏し、一部は抵抗を続けたが[3]、チットールガルは陥落した[1][3]。パドミニーのその後の行方は定かではない。
脚注
- ^ a b c d e f チャンドラ『中世インドの歴史』、p.96
- ^ 小谷『世界歴史大系 南アジア史2―中世・近世―』、p.43
- ^ a b c 小谷『世界歴史大系 南アジア史2―中世・近世―』、p.43
参考文献
- サティーシュ・チャンドラ 著、小名康之、長島弘 訳『中世インドの歴史』山川出版社、2001年。
- 小谷汪之『世界歴史大系 南アジア史2 ―中世・近世―』山川出版社、2007年。
関連項目