ラ・セル=サン=クルー (La Celle-Saint-Cloud)は、フランス、イル=ド=フランス地域圏、イヴリーヌ県のコミューン。パリ16区ポルト・ドートゥイユから12km離れている。
地理
ラ・セル=サン=クルー市街は、南のヴェルサイユ平野を背後にしたドリオーヌ谷に主にある。サン=ジェルマン=アン=レーの南東約8マイル、ヴェルサイユの北約6マイルに位置する。
市街は東部にあるエリゼ2(1963年完成の大規模集合住宅)や、南のボールガール地区のような建築群で高度に都市化されている。しかし南部と西部には広域な森林が保存されている。
歴史
ラ・セルの名が最初に現れるのは697年、サン=ジェルマン=デ=プレ修道院の死亡記事においてで、村の名はCella fratrumとされていた。7世紀以降、村は上記の修道院の領地であった。846年にはヴァイキングが村を襲撃した。
1683年、ジャン=バティスト・コルベールは、ヴェルサイユに面した荘園をサン=ジェルマン=デ=プレ修道院から購入し王家の狩猟地を広げるためラ・セルの村を買った。
人口が急増したのは、第二次世界大戦後の復興期からである。
1955年11月6日、当時の首相アントワーヌ・ピネーは、亡命していたモロッコのスルタンムハンマド(のちのモロッコ王ムハンマド5世)とラ・セル=サン=クルーにて協定を結んだ。協定の内容には、ムハンマドの叔父ムハンマド・イブン・アラファから実権を取り戻し帰国することが盛り込まれていた。この協定はモロッコ独立に向けた通過地点ともなった。
交通
建築物
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Le château de La Celle
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ラ・セル城の18世紀当時の大花壇の復元
3D(Vue restituée sur le grand parterre du château de la Celle Saint-Cloud au
XVIIIe siècle.)
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同上(Vue restituée depuis la demi-lune au bout du parterre du château de La Celle, XVIIIe siècle.)
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シャテニュレ城(Château de la Châtaigneraie)
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1750-1754年に
ルイ15世のために
アンジュ=ジャック・ガブリエルが築造した狩猟小屋パヴィヨン・デュ・ブュター(ル)(Le pavillon du Butard)。
ヴェルサイユ宮殿近郊にある。
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Panneau d'information sur le pavillon du Butard.
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ラ・セル=サン=クルー駅(La gare de La Celle-Saint-Cloud)
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ラ・セル内にある
ブージヴァル駅(La gare de Bougival (sur le territoire de la commune de La Celle-Saint-Cloud).)
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L'église Saint-Pierre-Saint-Paul.
姉妹都市
出身者
脚注
- ^ Populations légales 2008 de la commune : La Celle-Saint-Cloud sur le site de l'Insee
- ^ Béatrice Gurrey (2018年9月27日). “Jérôme Solal-Céligny, l’inconnu de la rédaction de la Constitution de 1958”. Le Monde(ル・モンド). 2022年12月21日閲覧。.