ヨハン・ヴィルヘルム(Johann Wilhelm, 1530年3月11日 - 1573年3月2日)は、ザクセン公(在位:1566年 - 1572年)、のちザクセン=ヴァイマル公(在位:1572年 - 1573年)。ザクセン選帝侯ヨハン・フリードリヒ1世とジビュレ・フォン・ユーリヒ=クレーフェ=ベルクの次男。
人物
1566年、兄ヨハン・フリードリヒ2世が神聖ローマ皇帝マクシミリアン2世の捕虜となった後にザクセン公となった。1572年、マクシミリアン2世の裁定により兄の息子2人との間で所領を分割し、以後ヨハン・ヴィルヘルムはザクセン=ヴァイマル公となり、新たにヨハン・カジミールがザクセン=コーブルク公、ヨハン・エルンストがザクセン=アイゼナハ公となった。翌1573年にヨハン・ヴィルヘルムは死去した。
1560年にプファルツ選帝侯フリードリヒ3世の娘で兄ヨハン・フリードリヒ2世の後妻エリーザベトの妹であるドロテア・ズザンナと結婚した。2人は5子をもうけた。
- フリードリヒ・ヴィルヘルム1世(1562年 - 1602年) - ザクセン=ヴァイマル公
- ジビュレ・マリー(1563年 - 1569年)
- 男子(死産、1564年)
- ヨハン(1570年 - 1605年) - ザクセン=ヴァイマル公
- マリア(1571年 - 1610年) - クヴェードリンブルク女子修道院長
出典