『ヨエル書』(ヨエルしょ)は、旧約聖書文書のひとつ。ユダヤ教では後の預言者に分類され、キリスト教では預言書(十二小預言書)に分類される。伝統的配列では、十二小預言書のなかで2番目に位置し、『ホセア書』の次、『アモス書』の前に配置される。ヨエルとはヘブライ語で「ヤハウェは神」という意味。
構成は写本の系統によって異なり、ギリシア語訳聖書である七十人訳聖書 および ラテン語訳聖書であるウルガタでは3章に分けられており、日本でも口語訳聖書 および 新改訳聖書がこれにならっている。それに対して、旧約聖書ヘブライ語原典(マソラ本文)では4章に分割され、日本では新共同訳聖書がこれにならっている。したがって、キリスト教では、3章に分けたものを使っている教会と、4章に分けたものを使っている教会に分かれている。分け方の違いは、前者の2章28~32節の部分が、後者では独立した章(第3章)になっている。
筆者
1章1節によれば、筆者はペトエルの子ヨエルであるという。ただし、ペトエルという名は聖書中ここにしか出現せず、ヨエルの出自を明らかにする情報は存在しないと言っても良い。
執筆年代
『新聖書辞典』(いのちのことば社)によれば、複数の説があり、定説はないようである[1]。
- 捕囚以前説(フリーマン、ヤング、アーチャー等が説いている): BC830年ごろ(ヨアシュ王の時代)にユダ王国で執筆された。(理由は以下のとおり)
- (1) アモス書にヨエルの文体の影響が見られるので、アモス書より前に書かれた。
- (2) 文体が捕囚後の預言書の文体と異なる。
- (3) 王ではなく、祭司や長老が出てくるのは、ヨアシュ王が幼少であったため、摂政を必要としていたからではないか。
- 捕囚以後説(ファイファー、トライヴァー等が説いている): BC350年ごろ~BC200年ごろ。(理由は以下のとおり)
- (1) アラム・アッシリア・バビロンなどが出てこない。
- (2) 黙示文学的な色彩が濃い。
- (3) 4章6節に「ギリシャ人」が出てくる。また4章1~3節にエルサレム陥落と見られる記述がある。
マイヤースなどは、ヨエル書の執筆年代を、エルサレム帰還後で、エルサレム神殿再建完了(BC516年)の前に置いている[2]。
エドモン・ジャコブなどは、アモス書 5章18~20節にも、主の日(神による審きの日)の到来という、ヨエル書と同じテーマを扱っていることなどから、執筆年代をアモスやホセアと同年代(BC8世紀前半のヤラベアムⅡ世統治のころ)と考えている[3]。
新約聖書での引用・類似の比喩
脚注
- ^ 『新聖書辞典』いのちのことば社
- ^ マイヤース著(山崎亨 訳)『聖書講解全書14(ホセア~ヨナ)』日本基督教団出版局。1970年
- ^ エドモン・ジャコブ 『旧約聖書(改訂新版)』 白水社・文庫クセジュ。2006年