ユージン・サンドウ (Eugen Sandow ドイツ語: [ˌɔʏ̯ɡeːn ˈzandoː] 英語: [juːˌdʒiːn ˈsandoʊ] , 1867年 4月2日 - 1925年 10月14日 )は、ボディビルダー の先駆者で、"近代ボディビルの父 "と呼ばれている。
初期
サンドウ10歳時(左)と18歳時
1867年 、プロイセン王国 のケーニヒスベルク (現在のロシア連邦 カリーニングラード )でフリードリヒ・ヴィルヘルム・ミュラー (Friederich Wilhelm Müller)として生まれた。幼い頃は虚弱であったが、イタリアで見た古代ローマの彫刻像の肉体に魅せられ、指導者に付いて体を鍛え始める。毎日の肉体鍛錬のほか、解剖学も研究した。
経歴
1889年撮影
1894年
19歳の頃には既に怪力スタント をパフォーマンスするだけの実力を身に付けており、後にレビューの天才と呼ばれる事になるフローレンツ・ジーグフェルド は、この若きサンドウを発掘し、興行の為に雇い入れた。サンドウは様々な怪力技で、ジーグフェルドが見出した最初のスターとして瞬く間にセンセーションを巻き起こした。1889年にはロンドンのストロングマンコンテストで優勝し、有名となった。
サンドウは興行でヨーロッパ全土を渡り、1893年 にはアメリカに上陸、シカゴで開催された世界コロンビア博覧会 でパフォーマンスを披露した。
1894年 にブランチ・ブルックス・サンドウと結婚し、2人の娘をもうけた。また、ロンドンに体育学校を開いた[ 1] 。
サンドウは1901年 9月14日 、イギリス・ロンドンのロイヤル・アルバート・ホール にて世界最初のボディビル・コンテストである"グレート・コンペティション"を主催した。
遺産
彼のボディビル競技への功績を後世に伝える意味を込めて、フレデリック・ポメロイの彫刻による銅製のサンドウ像が、ミスター・オリンピア の勝者に1977年 より贈呈されている(この像はシンプルに"サンドウ"と呼ばれている)。
日本への紹介
邦訳に付けられた人体解剖図
サンドウの筋肉訓練法
サンドウのトレーニング法は、明治時代、欧州視察中にサンドウを知った嘉納治五郎 によって日本にも紹介された。
参考文献
(英語版が参考にした文献)
Chapman, David, "Eugen Sandow and the Birth of Bodybuilding", Hardgainer (May 1993)
Chapman, David, Sandow the Magnificent: Eugen Sandow and the Beginnings of Bodybuilding (Champaign, IL: University of Illinois Press, 1994)
脚注
^ サンダウ体力養成法 (造士会, 1900)
外部リンク