1972年、製作会社「レ・フィルム・ド・レキノクス」(Les Films de l'Équinoxe)を設立し、長編映画のシリーズを監督することに専念した。彼女が1961年に述べた、"If through my works, you conclude that injustice revolts me and dignity seems to me to be the most important virtue, so much the better."という意図を反映するものを目指したもので、確実にこのアプローチを実証するように、『ジャンの妻(La Femme de Jean)』(1974年)では女性解放、 『L'Amour violé』(1978年)ではレイプ、『L'Amour nu』 (1981年)では癌、『La Triche』(1984年)では同性愛に焦点を当てている。[7]
日本での映画公開
La Femme de Jean(1973年)が、1978年に『ジャンの妻』のタイトルで公開されている[8]。
Les Enfants du desordre(1989年)が、1991年に『無秩序な少女』のタイトルで公開されている[9]。
脚注
^Roger Ebert (4 January 1980). “Reviews: Rape of Love” (英語). RogerEbert.com. 28 May 2022時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年3月16日閲覧。