兄のアンリとともにタンデム自転車レースのチャンピオンとなったモーリス・ファルマンは、パナール自動車によるレース参加を開始し、1901年の「グラン・プリ・ド・ポー」(Grand Prix de Pau 、「グラン・プリ」と呼ばれる最初のレース)に優勝した。また1902年5月には、パリ・アラス間を往復する「シルキュイ・ドゥ・ノール(Circuit du Nord)」レースにも勝った。同じ年、パリからウィーンへのレースにも参加し、マルセル・ルノーによって優勝した。しかし、モーリスの関心はすぐに動力飛行に移り、1909年には航続時間と速度の世界記録を作った。モーリスは飛行機の製作を開始し、1912年には兄のアンリの事業と合体させてファルマンを設立した。