マンスール・アブー=バクル
マンスール・アブー=バクル(アラビア語:الملك المنصور سيف الدين أبو بكر بن الملك الناصر محمّد بن الملك المنصور قلاوون الألفي الصالحي النجي 転写:al-Malik al-Manṣūr Sayf ad-Dīn Abu-Bakr b. al-Malik an-Nāṣir Muhammad b. al-Malik al-Manṣūr Qalāwūn al-Alfī as-Ṣālihī an-Najmī, 1321年頃 - 1341年)は、バフリー・マムルーク朝の第16代スルターン(在位:1341年)。 生涯1331年に父ナースィル・ムハンマドはアブー=バクルの弟アーヌークを後継者に指名していたが、1340年にアーヌークが没したため、アブー=バクルが後継者に指名された[1]。 1341年6月7日にアブー=バクルはスルターンに即位する[2]。翌7月に若年のアブー=バクルを補佐するためにナースィルの治世に廃止されていたスルターンの代理職であるエジプト総督と財務を司るワズィール職が再び設けられた[2]。同年8月にアブー=バクルは執政のカウスーンによって廃位され、上エジプトに移された後に殺害された[2]。カウスーンはアブー=バクルの母親の夫であるエジプト総督トゥクズダムルを失脚させ、5歳のクジュクをスルターンに擁立した[2]。 脚注参考文献
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