マルクス・フルウィウス・ノビリオル (紀元前159年の執政官)


マルクス・フルウィウス・ノビリオル
M. Fulvius M. f. M. n. Nobilior[1]
出生 不明
死没 不明
出身階級 ノビレスプレプス
氏族 フルウィウス氏族
官職 護民官紀元前171年
按察官紀元前166年
法務官紀元前156年以前)
執政官紀元前159年
指揮した戦争 対リグリア戦争
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マルクス・フルウィウス・ノビリオルラテン語: Marcus Fulvius Nobilior)はプレプス(平民)出身の共和政ローマの政務官。紀元前159年執政官(コンスル)を務めた。

出自

ノビリオルはプレブスのフルウィウス氏族の出身である。フルウィウス氏族は紀元前4世紀の中頃にトゥスクルム(en)からローマに移住し、紀元前322年にはルキウス・フルウィウス・コルウスが氏族最初の執政官となっている[2]

父は紀元前189年の執政官で同名のマルクス・フルウィウス・ノビリオルである。祖父のプラエノーメン(第一名、個人名)もマルクスであるが[3]、名前以外の情報は無い。曽祖父は紀元前255年の執政官であるセルウィウス・フルウィウス・パエティヌス・ノビリオルと思われる。

経歴

紀元前171年護民官に就任し[4]紀元前166年にはアエディリスを務めている。この年にテレンティウスの喜劇『アンドロス島の女』が初演されている[5]

紀元前159年に執政官に就任。同僚執政官はパトリキ(貴族)のグナエウス・コルネリウス・ドラベッラであった[3]。両執政官は賄賂禁止法(コルネリウス・フルウィウス法、Lex Cornelia Fulvia de ambitu)を制定している[6]。またノビリオルはリグリアに出征して勝利、翌年には凱旋式を実施している[7]

脚注

  1. ^ MRR1, p. 445.
  2. ^ Münzer F. "Fulvius", 1910, s. 229.
  3. ^ a b カピトリヌスのファスティ
  4. ^ リウィウスローマ建国史』、XLII, 32, 7.
  5. ^ MRR1, p. 437.
  6. ^ リウィウス『ローマ建国史』、Periochs 47
  7. ^ 凱旋式のファスティ

参考資料

古代の資料

研究書

  • Münzer F. "Fulvius" // Paulys Realencyclopädie der classischen Altertumswissenschaft . - 1910. - Bd. VII, 1. - Kol. 229.
  • T. R. S. Broughton (1951). The Magistrates of the Roman Republic Vol.1. American Philological Association 

関連項目

公職
先代
マルクス・コルネリウス・ケテグス
ルキウス・アニキウス・ガッルス
執政官
同僚:グナエウス・コルネリウス・ドラベッラ
紀元前159年
次代
マルクス・アエミリウス・レピドゥス
ガイウス・ポピッリウス・ラエナス