マラヤーラム語映画

マラヤーラム語映画
Malayalam cinema
初のマラヤーラム語映画『Vigathakumaran』のワンシーン
スクリーン 1,100(ケーララ州[1]
主な配給業者 アーシルヴァド・シネマズ英語版
マックスラブ・シネマズ&エンターテインメンツ英語版
ムラクッパダム・フィルムズ英語版
LJフィルムズ
フライデー・フィルムハウス英語版
ギャラクシー・フィルムズ英語版
ラヴァティ・カラマンディル英語版
メリーランド・スタジオ英語版
ナヴォダヤ・スタジオ英語版
グラーンド・プロダクション英語版
スリー・ゴークラム・フィルムズ
オーガスト・シネマ英語版
カーラサンガム・フィルムズ英語版
映画撮影数(2016年)
合計 134
興行成績 (2013年)[2]
合計 ₹2,500,000,000 - 2,750,000,000

マラヤーラム語映画(マラヤーラムごえいが、Malayalam cinema)は、インドの映画のうちマラヤーラム語で製作された映画であり、ケーララ州南部に拠点を置く映画産業を指す。「モリウッド(Mollywood)」の通称で知られ、インドにおいて4番目の規模を誇る映画産業である[3]

概要

コーチの映画館パドマ・シネマズ

1947年以前のマラヤーラム語映画はサイレント映画2本、トーキー映画3本のみしか製作されておらず、本格的な製作活動が行われるようになったのは20世紀後半に入ってからだった[4][5]。これはケーララ州政府英語版の財政支援政策が実施されたことが大きく影響しており、マラヤーラム語映画の年間製作本数は6本(1950年代)、30本(1960年代)、40本(1970年代)と増加し、1980年代には127本の映画が製作された[4]

1920年代初頭のマラヤーラム語映画の産業拠点はティルヴァナンタプラムに置かれており、1940年代後半までに産業は急速な発展を遂げた。その後、産業拠点は南インド映画の中心地だったマドラスに移行し、1980年代後半までに再びケーララ州に戻った[6]。現在のマラヤーラム語映画ではロケーション撮影、スタジオ撮影、プロダクション、ポストプロダクションの大半はティルヴァナンタプラムとコーチで行われており、複数のメディアではコーチをマラヤーラム語映画の産業拠点と報じている[7][8][9][10]

マラヤーラム語映画は撮影技法とストーリーラインが現実主義的なことで知られ、『死の玉座』『Vanaprastham』は第52回カンヌ国際映画祭の「ある視点」部門で上映された[11][12]。また、『死の玉座』はカメラ・ドールを受賞している[13][14][15]。1982年公開の『Elippathayam』はロンドン映画祭サザーランド杯を受賞し、英国映画協会の「最も想像的なオリジナル映画」に選ばれている。ラジーヴ・アンチャルの『Guru』、サリーム・アフマドの『アブ、アダムの息子英語版』はアカデミー外国語映画賞インド代表作品に選ばれている。アドゥール・ゴーパーラクリシュナンの『Mukhamukham』『Anantaram』『Mathilukal』『従属する者英語版』『マン・オブ・ザ・ストーリー』『Nizhalkuthu』はFIPRESCI賞を受賞した[16]。この他に国際的な評価を得た作品はシカゴ国際映画祭で賞状、カンヌ国際映画祭で撮影賞を受賞した『Chemmeen[17]第31回カンヌ国際映画祭などで31の映画賞を受賞した『Piravi[12][18]イタリアのベルガモ映画会議でブロンズ・ローザ・カムナを受賞した『Swaham[12][13][14][15]、インド初の3D映画『My Dear Kuttichathan[19]、マラヤーラム語映画初のシネマスコープ映画Thacholi Ambu』がある[20]

2010年代に入り、マラヤーラム語映画はスリランカで人気を集めている[21]。これはシンハラ人マラヤーリの文化的類似性が共感を得ているためと分析されている[21]

歴史

1950年代以前

『Balan』のワンシーン
『Marthanda Varma』のワンシーン

1907年にトリシュールにおいて手動操作の映写機を備えた最初の映画館がカットゥーカラン・ヴァラニー・ジョゼフ英語版によって設立され、これがケーララ州における最初の映画館となった。1913年にはカットゥーカランによって同地に常設劇場「ジョゼ・エレクトリック・バイオスコープ」が設立され、この劇場は現在では「ジョゼ・シアター英語版」と呼ばれている[22][23][24]

1930年に最初のマラヤーラム語映画『Vigathakumaran』が公開された。同作は1928年に製作が始まり、1930年10月23日にティルヴァナンタプラムのキャピタル・シアターで上映された。同作の監督・プロデューサー・脚本を務めたJ・C・ダニエル英語版は実業家で映画業界での経験は皆無だったが、現在では「マラヤーラム語映画の父」と呼ばれている[25]。彼は同作の製作に当たり、ケーララ州初の映画スタジオ「トラヴァンコール・ナショナル・ピクチャーズ」を設立している[25]。1933年にC・V・ラーマン・ピラーイ英語版の小説を原作としたP・V・ラオの『Marthanda Varma』が公開されたが、公開4日後に著作権を巡り訴訟問題に発展し、フィルムは没収された[25]

1938年に最初のマラヤーラム語トーキー映画『Balan』が公開され、S・ノッタニ英語版が監督、ムトゥクラム・ラガヴァン・ピラーイ英語版が脚本を手掛けた[26]。同作は現在のタミル・ナードゥ州セーラムモダン・シアターズ英語版で製作された。ノッタニは1940年に『Gnanambika』を監督し、1941年にはK・スブラーマニアムが『Prahlada』を監督している。

1947年以前のマラヤーラム語映画はタミル人プロデューサーによって製作されていた。最初にマラーティー語映画に参入したマラヤーリはP・J・チェリアンであり[27]、彼の参入後にマラヤーラム語映画は大きな変化を遂げた。彼は1948年にジョゼフ・チェリアン(息子)、ベイビー・ジョゼフ(義理の娘)を主演に迎えて『Nirmala』を製作し、「上流階級の人間は演技をしない」というタブーを破り、家族の多くをプロデュース作品に起用した。また、家族向けの社会テーマを題材にし、映画産業における音楽やプレイバックソングの導入を行ったパイオニアとなった。著名な詩人G・サンカラ・クラップ英語版が作詞したプレイバックソングは大衆の人気を集め、これ以降マラヤーラム語映画においてダンス・ソング・シークエンスは重要な要素として認識されるようになった。

1950年代

マラヤーラム語映画は常に文学、ドラマ、政治の要素を取り入れた社会問題をテーマに製作しており、1951年に公開された『Jeevitha Nouka』は大家族制を題材にしたミュージカル映画だった。1954年公開の『Neelakuyil』は国家映画賞 マラヤーラム語長編映画賞英語版を受賞した最初の作品となった[28]。同作は著名なマラヤーラム語詩人ウルーブ英語版が脚本を手掛け、P・バースカラン英語版ラーム・カリアット英語版が共同監督を務めた。1955年公開の『Newspaper Boy』はネオレアリズモの影響を受けた貧困問題を題材にしたドラマ映画で、監督のP・ラームダスを始め製作スタッフ全員が大学生だったことが注目を集めた[29]

映画音楽は従来の主流だったタミル語・ヒンディー語楽曲の模倣を離れ、P・バースカランやO・N・V・クラップ英語版などの作詞家が登場した。また、ラクシュマナン兄弟、V・ダクシナムールティ英語版G・デーヴァラージャン英語版バーブラージ英語版などの作曲家が独自のマラヤーラム語音楽を手掛けるようになった。

1960年代

マラヤーラム語映画の撮影風景

『Neelakuyil』の共同監督だったラーム・カリアットとP・バースカランは、1960年代から1970年代にかけて成功を収めた監督となった。この年代の代表作には『Odayil Ninnu』『Bhargavi Nilayam』『Chemmeen』『Murappennu』『Iruttinte Athmavu』がある。1961年には最初のマラヤーラム語カラー映画『Kandam Becha Kottu』が公開された。ラーム・カリアットが監督した『Chemmeen』は大衆の人気を集め、南インド映画で初めて国家映画賞 長編映画賞英語版を受賞した。

1960年代のマラヤーラム語映画はナショナリスト社会主義者が製作に関わることが多く、カーストと階級間搾取、反啓蒙主義者との闘い、封建階級の衰退、大家族制の分裂などの社会問題を題材とした映画が主流となった[30]。この年代ではM・クリシュナン・ナーイル英語版クンチャコ英語版P・スブラーマニアム英語版などの映画製作者が活躍し、特にクンチャコはウダイ・ピクチャーズ英語版を設立して映画産業のマドラス依存の脱却を図り、ケーララ州内での映画製作を促進するなどマラヤーラム語映画界に多大な貢献を果たした。また、時世代を牽引するP・N・メーノーン英語版ゴーヴィンダン・アラヴィンダン英語版アドゥール・ゴーパーラクリシュナンなどが登場した。

1970年代

マラヤーラム語映画の撮影風景

1970年代に入り、マラヤーラム語映画に新しい潮流が生まれた。映画産業の社会運動の発展により、イタリアフランスのニューウェーブ監督の作品が輸入されたためである。そんな中、マラヤーラム語映画にはパラレル映画が登場し、1972年にゴーパーラクリシュナンが監督した『Swayamvaram』は国際市場にマラヤーラム語映画を認知させる契機となった。1973年にM・T・ヴァスデヴァン・ナーイル英語版が監督した『Nirmalyam』は国家映画賞長編映画賞を受賞し、1975年にアラヴィンダンが監督した『Uttarayanam』は国家映画賞マラーティー語長編映画賞を受賞している。この年代ではマンカダ・ラヴィ・ヴァルマ英語版P・S・ニヴァス英語版シャジ・N・カルン英語版国家映画賞 撮影賞英語版を受賞している。また、P・G・ヴィスワンバーラン英語版が『Ozhukinethire』で監督デビューし、続けて『Sathyavan Savithri』を製作した。この他にM・G・ソマン英語版スクマラン英語版サディール英語版などの俳優が労働者階級の問題を題材にした映画で活躍し、その中でジャヤン英語版は純粋なアクション映画のジャンルを確立し、マラヤーラム語映画における最初の商業映画スターとされている。しかし、彼は『Kolilakkam』の撮影中に事故死し、確立されたアクション映画のジャンルは短命に終わった。

1980年代

1980年代のマラヤーラム語映画は、ユーモアと憂鬱さが混在した簡潔なストーリーによって描かれる日常を題材とした作品が主流となった。K・G・ジョージ英語版は1982年に『Yavanika』を監督して高い評価を得ており、同時期にはハリハラン英語版が監督、M・T・ヴァスデヴァン・ナーイルが脚本を手掛けた『Panchagni』『Nakhakshathangal』『Aranyakam』『Oru Vadakkan Veeragatha』が製作され、ジョン・エイブラハム英語版は大衆から直接製作費を集めて『Amma Ariyaan』などの作品を製作した。この年代にはプリヤダルシャン英語版サティヤン・アンティカダン英語版カマル英語版シッディーキー=ラール英語版などの監督が登場した。1989年にシャジ・N・カルンが監督した『Piravi』はマラヤーラム語映画で初めてカメラ・ドールを獲得した[12]

モーハンラール英語版マンムーティ英語版は、この時期にマラヤーラム語映画のスター俳優として登場し、モーハンラールは国家映画賞を5回、マンムーティは3回受賞している[31]

1990年代

マラヤーラム語映画の撮影風景

1990年代にはゴーパーラクリシュナンの『Mathilukal』、ヴィスワンバーランの『Kattu Kuthira』、バーラタン英語版の『Amaram』、カマルの『Ulladakkam』、プリヤダルシャンの『Kilukkam』、シビ・マライル英語版の『Kamaladalam』、I・V・サシ英語版の『Devasuram』、ファージル英語版の『Manichitrathazhu』、T・V・チャンドラン英語版の『Ponthan Mada』、バードラン英語版の『Spadikam』、シャジ・カイラス英語版の『Commissioner』『The King』、シッディーキー英語版の『Hitler』、ジャヤラージ英語版の『Desadanam』が製作された。

シャジ・N・カルンの『Swaham』はカンヌ国際映画祭コンペティション部門で上映された最初のマラヤーラム語映画であり、パルム・ドールにノミネートされた最初のマラヤーラム語映画でもある。1997年にラジーヴ・アンチャルが監督した『Guru』はアカデミー外国語映画賞インド代表作品に選ばれた最初のマラヤーラム語映画となった。1999年にムラリ・ナイールが監督した『死の玉座』は第52回カンヌ国際映画祭カメラ・ドールを受賞している[11]

2000年代

2000年代に入るとマラヤーラム語映画の品質は低下し、黄金期に活躍した監督たちも興行面・批評面で評価を得られずにいた。その結果、パラレル映画と主流映画との間のギャップが拡大した。2001年公開の『The Guard』は、世界で初めて出演者が1人(カラバワン・マニ英語版)のみで製作された映画として注目を集めた。この年代はスラップスティックが主流となり、ジョニー・アンソニー英語版の『C.I.D. Moosa』、ラール・ジョゼ英語版の『Meesa Madhavan』、サシ・シャンカル英語版の『Kunjikoonan』などが製作された。同時に過去のヒット作の続編映画が数多く製作され、代表作として『Meghamalhar』『Madhuranombarakattu』『Nandanam』『Perumazhakkalam』『Kaazhcha』などがある。2008年にはマラヤーラム映画アーティスト協会英語版の活動資金確保の一環として『Twenty:20』が製作された[32]

2010年代

J・C・ダニエル賞を受賞するスリークマラン・タンピ(2017年)

マラヤーラム語映画は質の劣化により数年間の停滞を生んだ後、2010年代に入りニュー・ジェネレーション映画の監督たちによって産業が復興された[33][34]。ニュー・ジェネレーション映画の特徴は、新鮮で型破りな題材と技術的に進化した新しい物語にあり[33][35]、これらの映画は過去年間のマラヤーラム語映画とは異なる作品として登場し、映画産業に新しい潮流を作り出した[36]。ニュー・ジェネレーション映画のフォーマットは国際的あるいはインド国内のトレンドに強く影響されているが、それらの題材はいずれもマラヤーリの生活に根差した形式が整えられている[37]。ニュー・ジェネレーション映画は「過去のマラヤーラム語映画の栄光を取り戻した」として高い評価を得ている[38]

2011年にサリーム・アフマドが監督した『アブ、アダムの息子英語版』はアカデミー外国語映画賞インド代表作品に選ばれた史上2本目のマラヤーラム語映画となり、同年公開の『Christian Brothers』は当時最も広範囲に配給されたマラヤーラム語映画となり、ケーララ州154センター、インド各州90センター、国外80センターで上映された。この記録は2014年に公開されたアルン・ヴァイディヤナサン英語版の『Peruchazhi』によって破られ、同作は国内外500スクリーンで上映された[39]。2013年に公開された『Drishyam』は興行収入が5億ルピーを超えた最初のマラヤーラム語映画となり、4言語映画でリメイクされている[40]。2016年公開の『Pulimurugan』は、興行収入が10億ルピーを超えた最初のマラヤーラム語映画となった。

マラヤーラム語映画の人材

映画製作者

J・C・ダニエル
P・バースカラン
アドゥール・ゴーパーラクリシュナン
M・T・ヴァスデヴァン・ナーイル
シャジ・N・カルン
I・V・サシ
K・G・ジョージ
カマル
ラジーヴ・アンチャル
サリーム・アハメド
ヴィナヤン
プリトヴィラージ・スクマラン

最初のマラヤーラム語映画『Vigathakumaran』を製作したJ・C・ダニエル英語版は、同作で監督の他にプロデューサー、脚本、主演を務めている。彼はプラーナ文献を原作とする当時のインド映画と異なり、社会問題を題材に選んでいる[41]。同作は興行的に失敗したものの、その後のマラヤーラム語映画の道を開いた「マラヤーラム語映画の父」と認識されている。1950年代までマラヤーラム語映画にはヒット作を製作できる監督が存在しなかったが、1958年にヒットを記録した『Neelakuyil』が登場し、共同監督を務めたP・バースカラン英語版ラーム・カリアット英語版が脚光を浴びた[42]。この他に1950年代に人気を集めた監督には、『Newspaper Boy』のP・ラームダスがいる。1960年代から1970年代にかけてはラーム・カリアットが人気を集め、『Neelakuyil』で撮影監督を務めたA・ヴィンセント英語版も映画監督として活躍するようになった[43]

1970年代にマラヤーラム語映画は転換期を迎え、パラレル映画が登場した。このジャンルの中心人物として台頭したのがゴーヴィンダン・アラヴィンダン英語版アドゥール・ゴーパーラクリシュナンだった。また、ジョン・エイブラハム英語版P・A・バッカー英語版は政治的題材を取り込み、マラヤーラム語映画に新しいジャンルを確立した。1970年代後半には、パラレル映画の深遠なテーマ性と大衆映画の娯楽性を兼ね合わせた「中流映画(middle-stream cinema)」が登場し、このジャンルを牽引した監督としてP・N・メーノーン英語版I・V・サシ英語版P・G・ヴィスワンバーラン英語版バーラタン英語版K・G・ジョージ英語版パドマラージャン英語版が挙げられる[44]

1980年代から1990年代にかけて各ジャンル間の境界が狭まり、若手の監督がマラヤーラム語映画に登場した。代表的な監督にはプリヤダルシャン英語版バードラン英語版ファージル英語版ジョーシー英語版ハリハラン英語版K・マドゥ英語版サティヤン・アンティカダン英語版カマル英語版シッディーキー=ラール英語版がいる。また、著名な脚本家としてT・ダモダラン英語版アンバザティール・カルナカラン・ロヒザダス英語版シュリーニヴァサン英語版が挙げられる。

2000年代は映画の品質が低下したものの、シャジ・N・カルン英語版レニン・ラジェンドラン英語版シャーマプラサード英語版ジャヤラージ英語版はヒット作を監督して高い評価を得ている。この時期にはブレッシー英語版ラール・ジョゼ英語版ランジート英語版ローシャン・アンドリュース英語版アマル・ニーラド英語版アーシク・アブ英語版Dr.ビジュ英語版ヴィニート・シュリーニヴァサン英語版リジョー・ジョーズ・ペッリシェーリ英語版が登場した[45][46]

作曲家・歌手

P・リーラー
G・デーヴァラージャン
V・ダクシナムールティ
スリークマラン・タンピ
O・N・V・クラップ
M・K・アルジュナン
M・S・ヴィスワナサン
K・J・イエースダース
K・S・チトラ
P・ジャヤチャンドラン
ジョンソン
カヴァラム・ナーラーヤナ・パニッカル
ヴィジャイ・イエースダース
シュウェタ・モハン
マンジャーリ
ジョツナ・ラーダクリシュナン

ケーララ州において、マラヤーラム語映画音楽は最も人気のある音楽として定着している[47]。映画産業の発展以前はタミル語映画ヒンディー語映画の音楽が人気を集めていた。1948年公開の『Nirmala』で初めてプレイバックソングが映画に取り入れられ、作曲はP・S・ディヴァカルが手掛け、歌手としてP・リーラー英語版、T・K・ゴーヴィンダ・ラオ、ヴァスデーヴァ・クラップ、C・K・ラガヴァン、サロージニ・メノン、ヴィマラ・V・ヴァルマが参加している。この中でヴィマラ・V・ヴァルマはマラヤーラム語映画における最初のプレイバックシンガーとされている[48]

初期のプレイバックソングは、タミル語映画やヒンディー語映画でヒットした曲を使用する傾向にあったが、1950年代に入ると多くの詩人やミュージシャンが独自の曲を作るようになった。1950年代半ばにはマラヤーラム語映画独自のアイデンティティを確立し、ラクマナン兄弟、G・デーヴァラージャン英語版V・ダクシナムールティ英語版M・S・バーブラージ英語版K・ラガヴァン英語版ヴァヤラール・ラーマヴァルマ英語版P・バースカラン英語版O・N・V・クラップ英語版スリークマラン・タンピ英語版などの音楽監督、作詞家が登場した[49]。この時代のプレイバックシンガーとしてはカムカラ・プルショーサマン英語版K・P・ウダヤバーヌ英語版A・M・ラージャー英語版、P・リーラー、P・スシーラ英語版P・マドゥリ英語版S・ジャーナキ英語版がいる。これらのプレイバックシンガーはケーララ州で高い人気を集め、マラヤーラム語映画黄金時代(1960年代 - 1970年代)の一翼を担った。

後にマンナ・デイ英語版タラット・マフムード英語版ラタ・マンゲシュカルアシャ・ボスレS・P・バーラスブラマニアムなどの非マラヤーリ・プレイバックシンガーが人気を集めた。また、ナウシャド英語版ウーシャ・カンナー英語版M・B・シュリーニヴァサン英語版ラヴィ英語版シャーム英語版バッピー・ラヒーリ英語版ラクシュミカント=ピヤリラール英語版サリル・チョーダリー英語版イライヤラージャ英語版ヴィシャール・バルドワジ英語版A・R・ラフマーンなど他の言語映画の作曲家も参入するようになった[49]。1950年代後半から1970年代半ばのマラヤーラム語映画音楽の黄金時代に活躍した人物としてM・K・アルジュナン英語版M・S・ヴィシュワナーダン英語版A・T・ウメル英語版R・K・シェーカル英語版が挙げられる。

1961年にデビューしたK・J・イエースダース英語版はマラヤーラム語映画音楽に革命をもたらし、K・S・チトラ英語版と並ぶ人気プレイバックシンガーとなった。イエースダースは伝統音楽と映画音楽のファン双方から人気を集め[50]P・ジャヤチャンドラン英語版と共に1960年代から1970年代にかけてプレイバックソングを改革した。

1970年代に入ると西洋的でリズミカルな音楽が主流となり、シャームやK・J・ジョイ、ジェリー・アマルデヴ英語版が台頭した。ラヴィーンドラン英語版ジョンソン英語版M・G・ラーダクリシュナン英語版と共にケーララの文化を取り込んだメロディアスでクラシックな音楽を作り出し、マラヤーラム語映画音楽において2度目の革命を主導した。この変革期にはプーヴァチャル・カディル英語版カヴァラム・ナーラーヤナ・パニッカル英語版ビチュ・ティルマラ英語版カイサプラーム・ダモダラン英語版V・マドゥスーダナン・ナーイル英語版ギリーシュ・プテンチェリー英語版カンナル・ラージャン英語版S・P・ヴェンカテーシュ英語版モハン・シサラ英語版オウセッパチャン英語版シャーレス英語版ヴィディヤーサーガル英語版が登場した。

現代のマラヤーラム語映画ではラーフル・ラージ英語版プラシャーント・ピラーイ英語版シャーン・ラフマーン英語版ビジバール英語版ゴーピー・スンダル英語版アルフォンス・ジョゼフ英語版ラジェシュ・ムルゲサン英語版ラフィーク・アハメド英語版ヴァヤラール・サラース・チャンドラ・ヴァルマ英語版ヴィジャイ・イエースダースシュウェタ・モーハン英語版マンジャーリ英語版ジョツナ・ラーダクリシュナン英語版などが活躍している。若手の作曲家の中にはラーフル・ラージやプラシャーント・ピラーイのように電子機器やデジタルサウンドなどを用いて作曲している[51]

ランドマーク映画

作品 監督 備考 出典
1928 Vigathakumaran J・C・ダニエル マラヤーラム語映画初の長編映画。 [52]
1933 Marthandavarma P・V・ラオ インド映画において初めて著作権侵害訴訟に発展した映画。 [53]
1938 Balan S・ノッタニ マラヤーラム語映画初のトーキー映画。 [54]
1948 Nirmala P・V・クリシュナ・アイヤール マラヤーラム語映画で初めてプレイバックソングを導入した映画。 [55]
1954 Neelakuyil P・バースカラン
ラーム・カリアット
国家映画賞マラヤーラム語長編映画賞を受賞した最初の映画。 [42]
1955 Newspaper Boy P・ラームダス ネオレアリズモに基づき製作された最初のマラヤーラム語映画。製作スタッフのほぼ全員が学生で構成されていた。 [56]
1961 Kandam Becha Kottu T・R・サンダラム マラヤーラム語映画初のカラー映画。 [57]
1964 Bhargavi Nilayam A・ヴィンセント マラヤーラム語映画初のホラー映画。 [58]
1965 Chemmeen ラーム・カリアット 国家映画賞長編映画賞を受賞した最初のマラヤーラム語映画。 [59]
1965 Murappennu A・ヴィンセント 初めて屋外撮影されたマラヤーラム語映画。
1966 Iruttinte Athmavu P・バースカラン P・バースカランとプレーム・ナジル英語版の製作作品の中で高い評価を得ている。
1967 Chithramela T・S・ムティアー マラヤーラム語映画初のアンソロジー映画 [60]
1972 Swayamvaram アドゥール・ゴーパーラクリシュナン パラレル映画のパイオニア的作品。国家映画賞 監督賞を受賞した最初のマラヤーラム語映画。 [61]
1974 Kanchana Sita ゴーヴィンダン・アラヴィンダン 南インド映画における自主映画のパイオニア的作品。 [62]
1978 Thacholi Ambu ナヴォダヤ・アッパチャン英語版 マラヤーラム語映画初のシネマスコープ映画。 [63]
1982 Padayottam ジジョ・パンヌース英語版 南インド映画初の70mmフィルム映画。 [64]
1984 My Dear Kuttichathan インド映画初の3D映画。 [19]
1986 Amma Ariyan ジョン・エイブラハム 市民から製作費を集めて製作された最初のマラヤーラム語映画。英国映画協会の「インド映画トップ10」にランクインしている唯一の南インド映画。 [65][66]
1993 O' Faby K・スリークタン インド映画初の実写・アニメーション混在映画。 [67]
1994 Swaham シャジ・N・カルン パルム・ドール候補に挙がった最初のマラヤーラム語映画。
1997 Guru ラジーヴ・アンチャル アカデミー外国語映画賞インド代表作品に選出された最初のマラヤーラム語映画。 [68]
2005 Athbhutha Dweepu ヴィナヤン英語版 「世界で最も多くのドワーフを登場させた映画」としてギネス世界記録に登録されている。同時に主演俳優アジャイ・クマール英語版も「世界で最も身長の低い俳優」として登録された。 [69]
2006 Moonnamathoral V・K・プラカーシュ英語版 マラヤーラム語映画初のデジタル映画、HD映画、衛星配信映画。 [70]
2009 Kerala Varma Pazhassi Raja ハリハラン Blu-ray Discでソフト販売された最初のマラヤーラム語映画。 [71]
2010 Jalachhayam サティーシュ・カラティル英語版 カメラ付き携帯電話で撮影された最初のインド映画。 [72]
2012 Grandmaster B・ウンニクリシュナン英語版 映画祭を除いてケーララ州外で字幕付き上映が行われた最初のマラヤーラム語映画。 [73]
2013 Drishyam ジートゥ・ジョゼフ英語版 興行収入が5億ルピーを超えた最初のマラヤーラム語映画。 [40]
2016 Pulimurugan ヴァイシャーク英語版 100カロール・クラブ入りを果たした最初のマラヤーラム語映画。 [74]
2017 Villain B・ウンニクリシュナン マラヤーラム語映画初の8K映画英語版 [75]
2019 Lucifer プリトヴィラージ・スクマーラン英語版 興行収入が20億ルピーを超えた最初のマラヤーラム語映画。

祭典

ケーララ州映画賞

ケーララ州映画賞は、マラヤーラム語映画を表彰する映画賞である[76]。当初はケーララ州文化局英語版が主催していたが、1998年からはケーララ州映画アカデミー英語版が主催している[77]。映画賞は1969年に創設され、文化局と映画アカデミーが任命した選考委員によって審査される。選考委員は通常、マラヤーラム語映画界の人物から任命される。

ケーララ国際映画祭

ケーララ国際映画祭は、ケーララ州都ティルヴァナンタプラムで開催される。1996年に初めて開催され、ケーララ州映画アカデミーが主催している。毎年11月から12月の間に開催されており、インドにおける主要な映画祭の一つとして認知されている[78]

施設・組織

映画スタジオ

チトランジャリ・スタジオ

1926年にJ・C・ダニエルによってトラヴァンコール・ナショナル・ピクチャーズが設立され、これがケーララ州で最初の映画スタジオとなった[79][80]。1947年にクンチャコとK・V・コーシーによってウダヤ・ピクチャーズ英語版が設立され[81]、同スタジオの存在によってマラヤーラム語映画の製作拠点はタミル・ナードゥ州からケーララ州へ段階的に移行された。1951年にP・スブラーマニアムがメリーランド・スタジオ英語版を設立し[82]、この他に主要な映画スタジオとしてスリークリシュナ・スタジオ(1952年)、アジャンサ・スタジオ(1958年)[83]、チスラレーカ・スタジオ(1965年)[84]、ウマ・スタジオ(1975年)[85]ナヴォダヤ・スタジオ英語版(1978年)[86]チトランジャリ・スタジオ英語版(1980年)が設立された[86]。このスタジオの中でアジャンサ・スタジオのみが現存していない。

組織

マラヤーラム映画アーティスト協会英語版は、マラヤーラム語映画のスタッフによって設立された団体である[87]。同団体は映画動画の違法配信や加入俳優の利益の保護、業界内の問題の提起と解決を主な活動としている。この他にも保険、賃金改定や福利厚生、映画研究、年金、加入者の子供に対する教育ローンの運用も行っている。この他に業界団体としてケーララ映画製作者協会、ケーララ映画配給業者協会、ケーララ映画興行者連盟、ハイパーリンク・フィルムクラブが存在する[88]

出典

  1. ^ STATEWISE NUMBER OF SINGLE SCREENS”. Film Federation of India. 21 April 2014閲覧。
  2. ^ The Digital March Media & Entertainment in South India”. Deloitte. 21 April 2014閲覧。
  3. ^ Kumar, K.G. (18 May 2009). “What Mollywood can learn from Nollywood” (英語). Business Line. https://www.thehindubusinessline.com/todays-paper/tp-economy/What-Mollywood-can-learn-from-Nollywood/article20073823.ece 6 March 2018閲覧。 
  4. ^ a b Roy Armes (1987). Third World film making and the West. University of California Press. p. 121. https://books.google.com/books?id=qFDnqIwdr8EC&pg=PA121#v=onepage&q&f=false 3 April 2013閲覧。 
  5. ^ AMMA. “malayalamcinema”. malayalamcinema.com. 3 April 2013閲覧。
  6. ^ official website of INFORMATION AND PUBLIC RELATION DEPARTMENT”. Prd.kerala.gov.in.. 4 May 2013時点のオリジナルよりアーカイブ。29 July 2013閲覧。
  7. ^ “Kochi sizzling onscreen”. The New Indian Express. (29 January 2013). http://newindianexpress.com/cities/kochi/article1439876.ece 2019年8月20日閲覧。 
  8. ^ “Mollywood comes home to Kochi”. The Hindu. (4 March 2013). http://www.thehindu.com/news/cities/Kochi/mollywood-comes-home-to-kochi/article4472387.ece 2019年8月20日閲覧。 
  9. ^ Veedu”. Malayala Manorama (23 May 2013). 2019年8月20日閲覧。
  10. ^ “Mini-film city at Ramanthuruth”. The Times of India. (7 November 2017). https://timesofindia.indiatimes.com/city/kochi/mini-film-city-at-ramanthuruth/articleshow/61540255.cms 2019年8月20日閲覧。 
  11. ^ a b Festival de Cannes: Throne of Death”. festival-cannes.com. 10 October 2009閲覧。
  12. ^ a b c d PIRAVI”. Festival de Cannes. 2019年8月20日閲覧。
  13. ^ a b SWAHAM”. Festival de Cannes. 2019年8月20日閲覧。
  14. ^ a b MARANA SIMHASANAM”. Festival de Cannes. 2019年8月20日閲覧。
  15. ^ a b 100 Years of Indian Cinema: The 100 greatest Indian films of all time”. IBNLive. 2019年8月20日閲覧。
  16. ^ Official Website of Adoor Gopalakrishnan”. 28 May 2009閲覧。
  17. ^ "Fifty and still refreshing"”. The Hindu. 9 August 2010時点のオリジナルよりアーカイブ。24 May 2011閲覧。
  18. ^ Festival de Cannes: Piravi”. festival-cannes.com. 2 August 2009閲覧。
  19. ^ a b thssk. “Casting a magic spell”. Hinduonnet.com. 10 January 2009時点のオリジナルよりアーカイブ。30 December 2008閲覧。
  20. ^ An interview with 'Navodaya' Appachan”. Archives.chennaionline.com. 26 March 2009時点のオリジナルよりアーカイブ。30 December 2008閲覧。
  21. ^ a b “Sri Lankan south’s lost ties with south India”. The Hindu. (17 June 2018). http://www.thehindu.com/news/international/sri-lankan-souths-lost-ties-with-south-india/article24187502.ece 
  22. ^ “A true adventurer”. The Hindu. http://www.thehindu.com/features/cinema/a-true-adventurer/article5179374.ece 29 September 2013閲覧。 
  23. ^ Cinema”. Keralawindow. 29 September 2013閲覧。
  24. ^ History of malayalam cinema”. Cinema Malayalam. 29 September 2013閲覧。
  25. ^ a b c The History of Cinema, by Chelangatt Gopalakrishnan
  26. ^ History of Malayalam Cinema | Golden Age | Kerala | Kerala” (英語). 2019年6月4日閲覧。
  27. ^ Artist P.J. Cherian”. artistpjcherian.com. 2019年8月20日閲覧。
  28. ^ Archived copy”. 27 December 2018時点のオリジナルよりアーカイブ。31 January 2019閲覧。
  29. ^ Archived copy”. 11 March 2014時点のオリジナルよりアーカイブ。11 March 2014閲覧。
  30. ^ C. S.Venkiteswaran. A historical overview. p. 1 
  31. ^ Aswathi (22 September 2014). “13 തവണ മോഹന്‍ലാലിന് ദേശീയ പുരസ്‌കാരം നഷ്ടപ്പെട്ടു” (マラヤーラム語). Filmibeat. 9 April 2019閲覧。
  32. ^ Mother of all multistarrers!”. Sify. 2019年8月20日閲覧。
  33. ^ a b Malayalam new generation films failing to click?”. indianexpress.com. 2019年8月20日閲覧。
  34. ^ Glorious 100”. Khaleej Times. 2019年8月20日閲覧。
  35. ^ Malayalam cinema pushes the envelope : NATION – India Today”. Indiatoday.intoday.in (7 July 2012). 25 January 2013閲覧。
  36. ^ Vijay George (27 December 2012). “Arts / Cinema : The show goes on...”. The Hindu (Chennai, India). http://www.thehindu.com/arts/cinema/the-show-goes-on/article4245126.ece 25 January 2013閲覧。 
  37. ^ Venkiteswaran, C. S.. “New trails of discovery”. Frontline. 2019年8月20日閲覧。
  38. ^ Gauri, Deepa. “Hit parade”. Khaleej Times. 2019年8月20日閲覧。
  39. ^ Nicy V.P (26 August 2014). “Malayalam Wrap up: Mohanlal's 'Peruchazhi' to Release in 500 Screens”. International Business Times. 28 August 2014閲覧。
  40. ^ a b Rajaneesh Vilakudy (14 December 2014). "Is Drishyam, Malayalam cinema's biggest hit? Jeethu answers". Bangalore Mirror. Retrieved 30 December 2014.
  41. ^ Rajmohan. “History of Malayalam Cinema”. Cinemaofmalayalam.net. 30 July 2014時点のオリジナルよりアーカイブ。30 December 2008閲覧。
  42. ^ a b Cinema History Malayalam Cinema”. Malayalamcinema.com. 23 December 2008時点のオリジナルよりアーカイブ。30 December 2008閲覧。
  43. ^ Rajmohan. “History of Malayalam Cinema”. Cinemaofmalayalam.net. 30 December 2008閲覧。
  44. ^ Rajmohan. “History of Malayalam Cinema”. Cinemaofmalayalam.net. 30 December 2008閲覧。
  45. ^ Directorate of Film Festival”. iffi.nic.in. 28 September 2011時点のオリジナルよりアーカイブ。18 March 2014閲覧。
  46. ^ www.oridam.com”. 22 October 2016閲覧。
  47. ^ Music”. Keral.com. 2 August 2008時点のオリジナルよりアーカイブ。2 January 2009閲覧。
  48. ^ K. Pradeep (25 April 2008). “Family affair”. The Hindu (Chennai, India). http://www.hindu.com/fr/2008/04/25/stories/2008042550380400.htm 2 January 2009閲覧。 
  49. ^ a b Jason Kaitholil. “Cinema History”. AMMA (Malayalamcinema.com). 23 December 2008時点のオリジナルよりアーカイブ。2 January 2009閲覧。
  50. ^ K.J. Yesudas”. Chennai Online. 30 December 2011時点のオリジナルよりアーカイブ。2 January 2009閲覧。
  51. ^ CONTRIBUTE ARTICLES/REVIEWS – The healing power of Music &n”. Malayalammusic.com. 28 January 2013時点のオリジナルよりアーカイブ。29 July 2013閲覧。
  52. ^ Special Correspondent (3 March 2013). “'Vigathakumaran' did not face caste hostility: Adoor”. The Hindu. http://www.thehindu.com/todays-paper/tp-national/tp-kerala/vigathakumaran-did-not-face-caste-hostility-adoor/article4471382.ece 8 November 2016閲覧。 
  53. ^ Vijayakumar, B. (27 January 2013). “Old is Gold: Marthanda Varma, 1931”. The Hindu. http://www.thehindu.com/features/cinema/old-is-gold-marthanda-varma-1931/article4350814.ece 8 November 2016閲覧。 
  54. ^ Staff Reporter (28 May 2013). “Celebrating 75th anniversary of Balan, the first Malayalam talkie”. The Hindu. http://www.thehindu.com/news/national/kerala/celebrating-75th-anniversary-of-balan-the-first-malayalam-talkie/article4756706.ece 8 November 2016閲覧。 
  55. ^ “Tribute : Family affair”. Chennai, India: Hindu.com. (25 April 2008). http://www.hindu.com/fr/2008/04/25/stories/2008042550380400.htm 30 December 2008閲覧。 
  56. ^ Newspaper Boy:' a flashback to the Fifties”. The hindu (20 May 2005). 2019年8月21日閲覧。
  57. ^ “Columns : KANDAM BACHA COATU 1961”. Chennai, India: Hindu.com. (8 November 2008). http://www.hindu.com/mp/2008/11/08/stories/2008110853011100.htm 30 December 2008閲覧。 
  58. ^ kikvn (4 September 2006). “MACTA to remake 'Bhargavi Nilayam'”. Chennai, India: Hindu.com. http://www.hindu.com/2006/09/04/stories/2006090400560200.htm 30 December 2008閲覧。 
  59. ^ “'Chemmeen' is 40”. Chennai, India: Hindu.com. (16 November 2005). http://www.hindu.com/2005/11/16/stories/2005111602080200.htm 30 December 2008閲覧。 
  60. ^ B. Vijayakumar. (19 June 2011). "CHITRAMELA 1967". The Hindu. Retrieved 11 July 2011.
  61. ^ Rajmohan. “Interview: Adoor”. Cinemaofmalayalam.net. 30 December 2008閲覧。
  62. ^ Jayaram, S. B. (1992). Aravindan and His Films. Trivandrum: Chalachitra. pp. 1–36. OCLC 33983644 
  63. ^ Shivpprasadh, S. (10 May 2012). “He cast a 3-D spell”. The Hindu. http://www.thehindu.com/features/cinema/he-cast-a-3d-spell/article3404301.ece 8 November 2016閲覧。 
  64. ^ R. Ayyappan (1 January 2000). “Sleaze time, folks”. Rediff.com. 14 April 2011閲覧。
  65. ^ Kumar, P. K. Ajith (24 October 2011). “After Amma Ariyan, a new role”. The Hindu. http://www.thehindu.com/todays-paper/tp-national/tp-kerala/after-amma-ariyan-a-new-role/article2566499.ece 8 November 2016閲覧。 
  66. ^ “Top 10 Indian Films”. British Film Institute.. オリジナルの15 May 2011時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20110515101729/http://www.bfi.org.uk/features/imagineasia/guide/poll/india/ 2019年8月21日閲覧。 
  67. ^ Of Faby and his father Interview with Director K. Sreekkuttan”. Aiswarya Tanish. 2019年8月21日閲覧。
  68. ^ Rediff On The Net, Movies: An interview with Rajeev Anchal, director of the Oscar-nominated Guru. Rediff.com (16 March 1998). Retrieved on 29 July 2013.
  69. ^ “Undapakru, shortest actor”. オリジナルの5 July 2008時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20080705232149/http://in.movies.yahoo.com/news-detail/14264/Undapakru-shortest-actor.html 
  70. ^ Kumar, P. K. Ajith (1 September 2006). “Change of scene”. The Hindu. http://www.thehindu.com/todays-paper/tp-features/tp-fridayreview/change-of-scene/article3230538.ece 8 November 2016閲覧。 
  71. ^ Mammotty's Pazhassi Raja, the first Malayalam film on Blu –Ray!”. Southscope.in. 24 September 2015時点のオリジナルよりアーカイブ。19 October 2014閲覧。
  72. ^ “Film shot with cell phone camera premiered”. The Hindu. (7 June 2010). http://www.thehindu.com/todays-paper/tp-national/tp-kerala/Film-shot-with-cell-phone-camera-premiered/article16253812.ece 2019年8月21日閲覧。 
  73. ^ Moviebuzz (14 May 2014). “Malayalam films to come with English subtitles”. Sify. 8 May 2016閲覧。
  74. ^ Mohanlal's Pulimurugan becomes first Malayalam film to gross over 100 crore rupees”. Deccan Chronicle (7 November 2016). accessdate=2019-08-21閲覧。
  75. ^ “Mohanlal and team Villain gives a grand welcome”. Times of India. (26 March 2017). https://timesofindia.indiatimes.com/entertainment/malayalam/movies/news/mohanlal-and-team-villain-gives-a-grand-welcome-to-telugu-star-srikanth/articleshow/57835545.cms 
  76. ^ Archived copy”. 11 March 2014時点のオリジナルよりアーカイブ。11 March 2014閲覧。
  77. ^ HOME – Kerala Chalachitra Academy”. keralafilm.com. 2019年8月20日閲覧。
  78. ^ Saraswathy Nagarajan (6 December 2012). “Best of world cinema”. The Hindu. http://www.thehindu.com/features/cinema/best-of-world-cinema/article4170669.ece 10 March 2014閲覧。 
  79. ^ Archived copy”. 6 June 2009時点のオリジナルよりアーカイブ。23 April 2015閲覧。
  80. ^ The Kerala Movie Studio Legacy – JC Daniel's The Travancore National Pictures – OLD MALAYALAM CINEMA”. OLD MALAYALAM CINEMA. 2019年8月20日閲覧。
  81. ^ Official website of INFORMATION AND PUBLIC RELATION DEPARTMENT”. kerala.gov.in. 12 April 2014時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年8月20日閲覧。
  82. ^ Visionary and entrepreneur”. The Hindu. 2019年8月20日閲覧。
  83. ^ K. PRADEEP. “The story of a studio”. The Hindu. 2019年8月20日閲覧。
  84. ^ www.keralahistory.ac.in”. keralahistory.ac.in. 11 July 2010時点のオリジナルよりアーカイブ。11 March 2014閲覧。
  85. ^ Baiju Chandran. “The Capital of cinema”. The Hindu. 2019年8月20日閲覧。
  86. ^ a b Untitled Page”. 22 October 2016閲覧。
  87. ^ Malayalamcinema.com, Official website of AMMA, Malayalam Film news, Malayalam Movie Actors & Actress, Upcoming Malayalam movies”. malayalamcinema.com. 2019年8月20日閲覧。
  88. ^ The Hindu Business Line : No show: Cinema bandh total in Kerala”. thehindubusinessline.com. 2019年8月20日閲覧。

Read other articles:

This article is about one kind of chronic pelvic pain in males. For females, see pelvic pain. Medical conditionChronic prostatitis/chronic pelvic pain syndrome (CP/CPPS)Other nameschronic nonbacterial prostatitis, prostatodynia, painful prostateSpecialtyUrologyCausesUnknown[1]Differential diagnosisBacterial prostatitis, benign prostatic hypertrophy, overactive bladder, cancer[2]Frequency~4%[3] Chronic prostatitis/chronic pelvic pain syndrome (CP/CPPS), previously known...

 

Malayalam Films ← 2018 2019 2020 → Malayalam cinema Before 1960 1960s 1960 1961 1962 1963 19641965 1966 1967 1968 1969 1970s 1970 1971 1972 1973 19741975 1976 1977 1978 1979 1980s 1980 1981 1982 1983 19841985 1986 1987 1988 1989 1990s 1990 1991 1992 1993 19941995 1996 1997 1998 1999 2000s 2000 2001 2002 2003 20042005 2006 2007 2008 2009 2010s 2010 2011 2012 2013 20142015 2016 2017 2018 2019 2020s 2020 2021 2022 2023 2024 vte The tables list the Malayalam films released ...

 

Pangeran Bernhard von Bülow Kanselir JermanMasa jabatan17 Oktober 1900 – 14 Juli 1909Penguasa monarkiWilhelm IIPendahuluChlodwig zu Hohenlohe-SchillingsfurstPenggantiTheobald von Bethmann HollwegMenteri-Presiden PrusiaMasa jabatan17 Oktober 1900 – 14 Juli 1909PendahuluChlodwig von Hohenlohe-SchillingsfürstPenggantiTheobald von Bethmann HollwegMenteri Luar Negeri Jerman  Kekaisaran Jerman Masa jabatanOktober 1897 – 16 Oktober 1900KanselirChlodwig von Hoh...

هذه المقالة يتيمة إذ تصل إليها مقالات أخرى قليلة جدًا. فضلًا، ساعد بإضافة وصلة إليها في مقالات متعلقة بها. (أبريل 2019) جايسون لامار معلومات شخصية اسم الولادة (بالإنجليزية: Jason James Lamar)‏  الميلاد 10 نوفمبر 1978 (46 سنة)  ديترويت  مواطنة الولايات المتحدة  الطول 72 بوصة  الو...

 

Municipality in Innlandet, Norway This article is about the municipality in Norway. For the village in Gran Municipality, Norway, see Gran (village). Municipality in Innlandet, NorwayGran Municipality Gran kommuneMunicipalityMunicipal building in Jaren FlagCoat of armsInnlandet within NorwayGran within InnlandetCoordinates: 60°26′28″N 10°29′44″E / 60.44111°N 10.49556°E / 60.44111; 10.49556CountryNorwayCountyInnlandetDistrictHadelandEstablished1 Jan 1838...

 

National association football team This article is about the men's team. For the women's team, see Antigua and Barbuda women's national football team. Antigua and BarbudaNickname(s)The Benna BoysAssociationAntigua and Barbuda Football AssociationConfederationCONCACAF (North America)Sub-confederationCaribbean Football Union (Caribbean)Head coachMikele LeigertwoodCaptainQuinton GriffithMost capsPeter Byers (91)Top scorerPeter Byers (44)Home stadiumAntigua Recreation GroundSir Vivian Richards St...

Coppa Italia Dilettanti 1987-1988 Competizione Coppa Italia Dilettanti Sport Calcio Edizione 22ª Organizzatore Lega Nazionale Dilettanti Date dal 6 settembre 1987al 25 giugno 1988 Luogo  Italia Formula Eliminazione diretta Risultati Vincitore Altamura(1º titolo) Secondo Stezzanese Semi-finalisti Leffe e R.Curi Pescara Cronologia della competizione 1986-1987 1988-1989 Manuale La Coppa Italia Dilettanti 1987-1988 è stata la 22ª edizione di questa competizione calcistica italia...

 

Small island off Selmun near the north-east of the main island of Malta For other places named Saint Paul Island, see St Paul Island (disambiguation). Saint Paul's Island(s)Native name: SelmunettGżira/Gżejjer ta' San PawlView of Saint Paul's IslandsGeographyLocationoff Malta, south of Sicily, Mediterranean SeaCoordinates35°57′55″N 14°24′2″E / 35.96528°N 14.40056°E / 35.96528; 14.40056ArchipelagoMaltese islandsArea0.101[1] km2 (0.039 sq&#...

 

Franz Schalk Gold Medal The Franz Schalk Gold Medal is a distinction of the Vienna Philharmonic awarded since 1963. It is named after the conductor, first director of the Vienna State Opera and co-founder of the Salzburg Festival Franz Schalk, whose 100th birthday was celebrated in 1963. Criteria and Motto The medal is presented to persons who earned extraordinary merits in promoting the orchestra of Vienna Philharmonic. The motto of the award is Achtet mir auf meine Philharmoniker (en. Look ...

此條目需要补充更多来源。 (2021年7月4日)请协助補充多方面可靠来源以改善这篇条目,无法查证的内容可能會因為异议提出而被移除。致使用者:请搜索一下条目的标题(来源搜索:美国众议院 — 网页、新闻、书籍、学术、图像),以检查网络上是否存在该主题的更多可靠来源(判定指引)。 美國眾議院 United States House of Representatives第118届美国国会众议院徽章 众议院旗...

 

此條目需要补充更多来源。 (2021年7月4日)请协助補充多方面可靠来源以改善这篇条目,无法查证的内容可能會因為异议提出而被移除。致使用者:请搜索一下条目的标题(来源搜索:美国众议院 — 网页、新闻、书籍、学术、图像),以检查网络上是否存在该主题的更多可靠来源(判定指引)。 美國眾議院 United States House of Representatives第118届美国国会众议院徽章 众议院旗...

 

此條目可能包含不适用或被曲解的引用资料,部分内容的准确性无法被证實。 (2023年1月5日)请协助校核其中的错误以改善这篇条目。详情请参见条目的讨论页。 各国相关 主題列表 索引 国内生产总值 石油储量 国防预算 武装部队(军事) 官方语言 人口統計 人口密度 生育率 出生率 死亡率 自杀率 谋杀率 失业率 储蓄率 识字率 出口额 进口额 煤产量 发电量 监禁率 死刑 国债 ...

Tacx Pro Classic Généralités Sport cyclisme sur route Création 2008 Éditions 11 (en 2019) Catégorie UCI Europe Tour 1.1 Type / Format course d'un jour Périodicité annuel (octobre) Lieu(x) Pays-Bas Zélande Statut des participants professionnels Site web officiel www.tacxproclassic.nl Palmarès Tenant du titre Dylan Groenewegen Plus titré(s) Tyler Farrar(2 victoires) Pour la compétition à venir voir : Tacx Pro Classic 2022 modifier La Tacx Pro Classic, connue sous le nom ...

 

Cet article est une ébauche concernant la philosophie. Vous pouvez partager vos connaissances en l’améliorant (comment ?) selon les recommandations des projets correspondants. Consultez la liste des tâches à accomplir en page de discussion. En philosophie, certains[1] nomment logique traditionnelle celle qui a existé en Occident après Aristote et avant l'avènement de la logique mathématique moderne. Elle fut dominante en Europe depuis l'Antiquité jusqu'à la fin du XIXe ...

 

American action crime drama television series starring Telly Savalas For other uses, see Kojak (disambiguation). KojakTitle logo, 1973–1974GenreCrime dramaCreated byAbby Mann(suggested by the book Justice in the Back Room, written by Selwyn Raab)Starring Telly Savalas Dan Frazer Kevin Dobson George Savalas Mark Russell Vince Conti Country of originUnited StatesOriginal languageEnglishNo. of seasons5No. of episodes118 (list of episodes)ProductionExecutive producersAbby MannJames Duff McAdams...

Cuban Ledge is a reef or islet composed chiefly of sand and small rocks in Eastchester Bay, the Bronx, in Long Island Sound. It is located between Rodman's Neck and Country Club in Eastchester Bay and is visible only during periods of low tide.[1][2] It is a hazard to boats, and is marked with a signal tower. Origin and name Several stories have been circulated regarding how the Cuban Ledge formed and got its name. According to some accounts, it was formed in 1898 when sailors...

 

Roberto Micheletti Presiden HondurasDipertentangkanMasa jabatan28 Juni 2009* – SekarangPendahuluManuel Zelaya*PenggantiPorfirio Lobo Sosa (Terpilih)Presiden Kongres NasionalMasa jabatanJanuari 2006 – 28 Juni 2009PendahuluPorfirio Lobo SosaPenggantiJosé Alfredo Saavedra Informasi pribadiLahir13 Agustus 1943 (umur 80)El Progreso, HondurasPartai politikPartai LiberalSuami/istriSiomara Girón Manuel Zelaya di-kudeta pada 28 Juni 2009 dan Konggres Nasional mengangkat ke...

 

American dog trainer This article has multiple issues. Please help improve it or discuss these issues on the talk page. (Learn how and when to remove these template messages) This template needs additional citations for verification. Please help improve this article by adding citations to reliable sources in this template. Unsourced material may be challenged and removed.Find sources: Joel Silverman – news · newspapers · books · scholar · JSTOR (Ma...

Gabriele GuascoStemma dei GuascoNascitaBergoglio MorteAlessandria, 1411 Cause della mortedecollazione Dati militariPaese servito Francia GradoCapitano Altre caricheGovernatore di AlessandriaGovernatore di Castellazzo [1] voci di militari presenti su Wikipedia Manuale Gabriele Guasco Governatore di AlessandriaDurata mandato1403 PredecessoreZanotto Visconti SuccessoreFacino Cane Governatore di CastellazzoDurata mandato1404 – 1411 Gabriele Guasco (... – Alessandria...

 

Rinaldo Franci (Siena, 25 ottobre 1852 – Siena, 1907) è stato un compositore e violinista italiano. Rinaldo Franci Indice 1 Biografia 2 Opere e fonti 3 Note 4 Bibliografia 5 Collegamenti esterni Biografia Della sua vita si sa pochissimo. Arnaldo Bonaventura lo dice allievo di Giovanni Bizzarri[1], mentre Maura Martellucci lo dice bambino prodigio, allievo anche di Rinaldo Ticci, a sette anni già in grado di suonare ballabili.[2] Rinaldo Morrocchi, nel 1886, lo dice eccezio...