マット・ジャクソン (Mat Jackson , 1981年 6月10日 - ) は、イギリス のレーシングドライバー 。現在はイギリスツーリングカー選手権 にモーターベース・パフォーマンス から参加している。最高位は2008年のランキング2位で、2016年シーズンは2位のサム・トードフ から14ポイント差の3位となった。
経歴
初期
オウルトン・パーク でジャクソンがドライブするセアト、2006年のセアト・クプラ選手権 。
ジャクソンは10代の頃からカートを始め、2000年にはルノー・クリオ・カップ に参戦、ランキング4位となった。2001年にはイギリスツーリングカー選手権のプロダクションクラスに参戦、GRチームのフォード・フォーカス をドライブし、ランキング4位となる。その後は資金調達に苦労し、レース界での活動を縮小したが、2005年に家族運営のチームでセアト・クプラ選手権 に参戦する。同選手権では8勝を挙げ、8度のポールポジションと8回のファステストラップを記録、ランキング2位となった。セアト はBTCCのドライバーとして彼の起用を考えたが[1] 、2006年もクプラ選手権に参戦、開幕戦から2連勝してシーズンをリードし、第12戦までに9勝を挙げその強さを発揮、シーズンタイトルを獲得した。
イギリスツーリングカー選手権
ジャクソンズ Mスポーツ (2007-2008)
2007年のイギリスツーリングカー選手権でジャクソンは実力を発揮し、オウルトン・パークでの第3レースで優勝するまでに多くの表彰台を獲得した [2] 。スラクストンでは不運にもクラッシュとエンジン不調のためノーポイントに終わる [3] 。ホーム戦となったドニントンでは第1レースで4番手からスタート、何周かをリードしたが、後輪駆動のBMWはウェットコンディションにマッチせず下位に沈んだ [4] 。ブランズ・ハッチ第2ラウンドでは最初のターンで外側から追い抜きを仕掛けたがスピン、11台の多重事故を引き起こしドライバー2名が病院送りとなった [5] 。最終ラウンドのスラクストンでは自らのペースを維持し、第3レースで優勝を遂げた。誰もがファブリツィオ・ジョヴァナルディ とジェイソン・プラト のタイトル争いに集中していたが、ジャクソンはスタートでトム・コロネル のインを突いた。その後はチームRAC のコリン・ターキントン を抑え、自身2度目の優勝を果たし、ランキングで7位となった。
2008年も前年と同じ体制でシリーズに臨んだ。開幕戦のブランズ・ハッチでジャクソンはポールポジションからスタートし、レースの3/4以上をリードしたが、終盤に雨のためグリップを失い、ゴール直前にジョナヴァルディにかわされ2位となった。第2レースでは4位を争い、第3レースではターキントンのBMW・320si に次いで2位に入った。
ジャクソンがドライブするBMW・320si 、2007年シーズンのスネッタートン で。
ロッキンガム では第1レースを6位で終えた。第2レースでは好スタートを切り、ダレン・ターナー とジョナヴァルディのミスに乗じてすぐにリードを取り、自身3度目の勝利を挙げた。雨で遅れた第3レースでは後輪駆動のBMWがスリップするにもかかわらず、ジャクソンはターキントンの後に付き2位を走行していた。全てがうまく行き、ジャクソンはターキントンを外側から抜こうとしたが、グラベルに押し出されリタイアとなった。その結果、チャンピオンシップをリードするチャンスを失った。ドニントン・パーク では第1レースで予選14位となり、決勝では5位まで浮上したが、トム・チルトン と接触しリタイアとなった。第3レースでは8位に入り、このラウンドでの初のポイントを獲得した。
クロフト では予選7位となる。第1レースは悪天候の中行われ、雨のためコースには川や水たまりが現れていた。スタートからジャクソンはリードしたが、ステファン・ジェリー とアラン・テイラー の事故でマーシャルが負傷し、赤旗中断となった。レースは再スタートしたが、天候は悪化していった。ジャクソンは2番手から再スタートしたが、最初のコーナーでリードを取る。これは彼が危険なタワーコーナーに最初に進入することを意味した。結果彼はブレーキがロックし、コースを直進してしまう。彼のマシンはグラベルにコースアウトしたがかろうじてコースに復帰、18位となった。その順位のまま再び赤旗が振られ、レースは悪天候のため中止となった。2008年シーズン、ジャクソンはランキング2位となり、1位のジョナヴァルディとは36ポイント差であった。
RML (2009)
ジャクソンがドライブするシボレー、2009年シーズンのロッキンガム・モーター・スピードウェイ 、スタート前。
ジャクソンのチームからは主要スポンサーが手を引き、2009年シーズンに参戦するための資金の目途は立たなかった。ジャクソンは2009年のエントリーリストに載っておらず、行く末は不透明であったが、RML が第2ラウンドスラクストン で彼を起用した[ 1] 。この第3レースで彼は優勝する。その後、第3ラウンドのドニントンからRMLがサポートするシルバーライン・レーシングでジェイソン・プラト のチームメイトとなった[ 2] 。シーズン前半は苦戦したが、第7ラウンドノックヒルから8戦連続表彰台(リバースグリッドレース時代の記録)を達成し、その中にはノックヒルでの勝利とシルバーストンでのポールポジションも含まれた[ 3] 。ジャクソンは2009年シーズン、ランキング5位に入った[ 4] 。
モーターベース・パフォーマンス (2010-)
ジャクソンがドライブするフォード・フォーカス 、2012年シーズンのスラクストン で。
2010年シーズン、ジャクソンはエアウェーヴスBMW と契約を結んだ。第3ラウンドのブランズ・ハッチ第3レースで優勝し、シーズン全体では6度の表彰台を記録、チームメイトのスティーヴン・ケーン から14ポイント差の155ポイントでランキング7位となった。
2011年シーズンは、エアウェーヴス・レーシング に留まった。チームはBMWに代えてフォード・フォーカス ST を採用し、彼とルーキーのチームメイト、リアム・グリフィン を起用した。チームはマシンをチーム・エーオン から購入、これはエーオンのマシンと同じくNGTC エンジンを搭載した。このシーズン、彼は再びフロントランナーに復帰し、ゴードン・シェデン 、マット・ニール とタイトルを争った。ドニントン、オウルトン・パーク、クロフト、スネッタートンと4勝を挙げたが、スネッタートン以降の成績は振るわず、結局ランキング4位でシーズンを終えた。
2012年、チームはレッドストーン・レーシングと改名した[ 5] 。ジャクソンはドニントンの第1レースで優勝、第3レースも優勝したが、ターボブーストが規定を越えたため失格となった[ 6] 。オウルトン・パークでは第2レースでロブ・コラード と接触、共にパンクしリタイアとなった。第3レースではダニエル・ウェルチ をスピン、リタイアさせ、この2つの件で彼はペナルティを受けることとなった[ 7] 。スネッタートンから新型のフォード・フォーカス ST Mk.III に乗り換え、シルバーストンでは17位からスタート、優勝を遂げた。
翌2013年 はNGTCフォード・フォーカスSTでシーズンを通して戦った。
その他の活動
ジャクソンはBBC のトップ・ギア に3回出演している。最初はシリーズ10のエピソード6でモーターホームでレースを行っている。2度目はシリーズ14のエピソード4で、航空機用のトーイングトラクター でレースを行った[ 8] 。3度目はシリーズ20のエピソード2で、タクシーのレースでトヨタ・ハイエース をドライブした。
彼はマクラーレン・オートモーティブ のテストドライバーでもあり、マクラーレン・MP4-12C の開発を担当した[ 9] 。
記録
イギリスツーリングカー選手権
(凡例 ) 太字 はポールポジション (1ポイント - 2001年は全戦。2007年から現在:最初のレースのみ 2001年はクラスごと) 斜体 はファステストラップ (1ポイント - 2001年から現在:全戦 2001年はクラスごと)*印は最低1ラップをリードしたドライバー(1ポイント - 2001年は特定のレース 2007年から現在:全戦 2001年はクラスごと)
* 現在進行中。
イギリスGT選手権
(凡例 ) (太字 はポールポジション ) (斜体 はファステストラップ )
脚注
出典
外部リンク