マックス・エーワ(Max Euwe, 1901年5月20日 - 1981年11月26日)は、オランダの数学者、チェスプレーヤーである。本名はマッヒーリス・エーヴェ(Machgielis Euwe, [ø:və])であり、マクヒリス・エーワ、姓はエーウェ、エイヴェとの日本語表記もある。彼の本職は数学の研究だが、チェスの世界チャンピオンになったことによりチェスプレーヤーとして大きな業績を残した。
生涯
アムステルダム近郊のヴァーテルフラーフスメール(英語版)出身。4歳の時に母にチェスを教えてもらい[1]、10歳の時から大会に出場した[1]。1921年ウィーンの国際大会で2位となり[2]、オランダの国内チャンピオンとなった[1]。1935年当時の世界チャンピオンアレクサンドル・アレヒンに挑戦し彼を破り世界チャンピオンとなったが[1][2]、2年後のリターンマッチではアレヒンに敗れチャンピオンの座を失った[1][2]。1948年アレヒンの死後空位となった世界チャンピオンの座をめぐり、ミハイル・ボトヴィニク、ワシリー・スミスロフ、パウリ・ケレス、サミュエル・ハーマン・レシェフスキーと5人で新チャンピオン決定戦が行われたが、最下位に甘んじた[1]。1970年国際チェス連盟の会長に就任[1][2]。
エーワは世界チャンピオンの中ではもちろん、グランドマスターの中でも数少ないアマチュアで通したことで知られている[1]。公認会計士、航空パイロット、ハーグ大学数学部長、NATOコンピュータ部長と数多くの資格、肩書き及び数学の博士号を持ち[2]、学生時代は水泳とボクシングの選手としても活動した[2]。
参考文献
脚注・出典
チェス世界チャンピオン |
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FIDE以前 |
- 1886, 1889, 1891, 1892 ( シュタイニッツ)
- 1894, 1897, 1907, 1908, 1910 (1月-2月), 1910 (11月-12月) (ラスカー)
- 1921 (カパブランカ)
- 1927, 1929, 1934 (アレヒン)
- 1935 (エーワ)
- 1937 (アレヒン)
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分裂期 |
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FIDE(統一) |
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- 2013, 2014, 2016, 2018, 2021 (カールセン)
- 2023
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