マイケル・マクドナルド(Michael McDonald、1952年2月12日 - )はアメリカのミュージシャン、シンガーソングライター。ドゥービー・ブラザーズの元メンバー[1]。ブルー・アイド・ソウルと称される声質を特徴として持つタイプのボーカリストの一人であり、ハスキーで深みのある非常に個性的な歌声を披露する。
歴史
ミズーリ州セントルイス生まれ。高校の頃からバンド活動を始める。ブルーというバンドにいたころにRCAレコードに見出され、1970年にロサンゼルスに移住、セッションミュージシャンとして活動を始める。1974年にスティーリー・ダンにツアーメンバーとして参加、『うそつきケイティ』でもバックボーカルを務めた。
1975年、ジェフ・バクスターの誘いを受け、病気のために一時的にバンドを離れたトム・ジョンストンの代役としてドゥービー・ブラザーズに加入、ツアーを行う。マクドナルドの加入により、ドゥービーはそれまでのファンキーなギターロックからソウルフルで都会的なAORに音楽性を転換する。1978年の『ミニット・バイ・ミニット』、ケニー・ロギンスと共作した「ホワット・ア・フール・ビリーヴス」は全米1位を記録、グラミー賞の最優秀アルバム、最優秀楽曲を受賞し、マクドナルドの名声を高めた。
ドゥービー・ブラザーズが活動を停止した1982年にソロアルバム『思慕(ワン・ウェイ・ハート)』を発表、「アイ・キープ・フォーゲッティン」のヒットを生む。1983年に発表されたジェームス・イングラムとのデュエット曲「ヤー・モ・ビー・ゼア」は、グラミー賞最優秀R&Bパフォーマンス賞を受賞し、ソロ転向後としては初のグラミー受賞を果たした[2]。1986年にはパティ・ラベルとのデュエット曲「オン・マイ・オウン」を大ヒットさせる。個性的ながらソウルフルかつ甘い歌声から、この当時は「女性歌手が最もデュエットしたい男性歌手」といわれる存在であった。
1990年代以降もAOR界では大御所として人気を博し、1995年にはドゥービー・ブラザーズの再結成ツアーにも参加した。2003年にはモータウンヒットのカバー集『モータウン』を発表し、全米14位のヒットとなる[3]。以後はカバー・アルバムのリリースが続いたが、2017年には自身17年ぶりとなるオリジナル曲によるアルバム『ワイド・オープン』を発表した[4]。
ディスコグラフィ
ドゥービー・ブラザーズ
ソロ・アルバム
- 思慕(ワン・ウェイ・ハート) - If That's What It Takes(1982年)
- ノー・ルッキン・バック - No Lookin' Back(1985年)
- テイク・イット・トゥ・ハート - Take It to Heart(1990年)
- ブリンク・オブ・アイ - Blink of an Eye(1993年)
- ブルー・オブセッション - Blue Obsession(2000年)
- イン・ザ・スピリット - In the Spirit: A Christmas Album(2001年)
- モータウン - Motown(2003年)
- モータウン2 - Motown Two(2004年)
- Through the Many Winters: A Christmas Album(2005年)
- Soul Speak(2008年)
- ワイド・オープン - Wide Open(2017年)
関連項目
脚注
外部リンク
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スタジオ・アルバム | |
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ライヴ・アルバム | |
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コンピレーション・アルバム |
- Best of The Doobies
- Best of The Doobies Volume II
- ドゥービーズ・ベスト!
- グレイテスト・ヒッツ
- On Our Way Up
- The Very Best of The Doobie Brothers
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主な楽曲 | |
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関連項目 | |
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