ドイツでも、1939年11月にボルクヴァルト社が、地雷の除去を行うための無人誘導車輌の開発を命じられた。“B I 地雷除去車輌 (Mineräumwagen, Borgward I, Sd.Kfz. 300)”の名で完成した車両は、地雷原で地雷処理ローラーを牽引する使い捨て車輌(地雷の爆発で本体も破壊される)で、安価に作るために車体はベトン(コンクリート)製、転綸は木製であった。B Iは1939年より1940年5月にかけて50輌が作られたが、実戦には投入されず、実用試験が行われたに留まった。
1940年には、B Iの車体を延長、転輪を片側3個から4個に増やし、上部支持輪を追加しエンジンを大出力のものに変更した“B II (Borgward II, Sd.Kfz. 300)”が開発された。重量2.3トンの車体はやはりコンクリート製であったが、こちらは最大515 kgの爆薬を搭載、自爆することで周囲の地雷も誘爆させる方式であった。1940年4月にはB IIの生産発注が行われ、同年7月には100輌が追加発注されたが、実用試験の結果、信頼性に乏しく、不満足な結果となり、生産発注は取り消されて試作のみに留まった。この他、車体を鋼板(前面のみ12mmの装甲鋼板で、それ以外の部分は軟鋼板)製とし、車体の周囲にフロートを搭載して推進用のスクリュープロペラと舵を備えた水陸両用型である“Ente”(アヒルの意)も試作されている。
更に、ボルクヴァルト社はB IIの設計を発展させ、車体を鋼板製としたB III (Borgward III)を試作した。この車両はB I/IIに先立つ1937年9月、フランスのルノー UEのような小型装甲弾薬運搬車を念頭に置き、小型の汎用装軌車として弾薬の輸送などにも使用でき、更には各種小型火砲の運搬、またそれらの自走化車台としても使用できるものとして同社に開発が命じられていたものであった。
1941年10月、ボルクヴァルト社に対し、使い捨て・自爆専用であるB I、B IIと違い、目標付近に爆薬を投棄して後退、運搬車本体は再利用することもできるタイプの爆薬運搬車輌の開発が指令された。この車両は使い捨ての無人操縦車両ではなく、人が搭乗して操縦することもできる車両として、B IIIを“schwere Ladungsträger”(シュヴェーア・ラドンツトレーガー、重爆薬運搬車、の意。なお、“軽”爆薬運搬車(leichter Ladungsträger、ライヒター・ラドンツトレーガー)はゴリアテ無人爆薬運搬車を指す)に発展させる形で開発するものとされ、また、爆薬運搬車以外にも軽偵察車輌や煙幕展開用車輌としての運用も考慮されていた。この計画に従い、翌年1942年には前述のVK.3.02を基に“B IV (Borgward IV, Sd.Kfz. 301)”が完成した。
B IVは、車体前面に傾斜したスロープ様の爆薬搭載部があり、台形の箱に収められた450 kgの爆薬を搭載して目標に接近し、接地地点で爆薬をスロープから前方斜め下に投下し、本体は安全圏まで後退した後に起爆させる。完全無人型だったB I/IIとは異なり、目標まである程度の距離までは人間が搭乗して操縦し、操縦手は目標手前で脱出した後は無線操縦に切り替える方式となった。