ロバート・マイケル・マイヤーズ(Robert Michael "Bob" Myers、1975年3月31日 - )[1]は、アメリカ合衆国のプロバスケットボール指導者および経営者。北米男子プロバスケットボールNBAのゴールデンステート・ウォリアーズのGMを務めていた。1993年から1997年までUCLAでフォワードとしてプレーし、1995年のNCAAチャンピオンメンバーの一人である[2]。
経歴
マイヤーズはサンフランシスコ・ベイエリアのダンビルで生まれ[3]、その地で育ち、モンテビスタハイスクールを卒業した後[1][4]、バスケットボールプレーヤーとしては、短期大学が興味を示すのに留まったが、名門校でプレーヤーを続けたいと考え、UCLAのアシスタントコーチであったスティーブ・ラヴィンの元を訪ね、トライアウトを受けることを助言された[5]。
カレッジ
マイヤーズは、1993年に、UCLAの経営経済学部に入学し、UCLAブルインズにリクルートされた特待選手ではなく、所謂ウォーク・オン(一般選手)として入部し[6]、4年間を練習生として過ごすことを目論んだ[7]。しかし、UCLAがNCAAチャンピオンに輝いた1994-95シーズンに、アスリート特待を得ることができたものの、レギュラーシーズンの最終戦まで得点を上げることはできず、そのシーズンは平均0.3得点に終わった[8]。
しかしながら、スポーツ・イラストレイテッドの記念号の表紙にトーナメント2回戦、残り4.8秒で、逆転となる、コート縦断の劇的な得点を挙げたチームメイトの タイアス・エドニーをマイヤーズが抱え上げている写真が掲載された。それに加え、ビル・クリントン 大統領とホワイトハウスで会うことができ、ジェイ・レノのザ・トゥナイト・ショー・ウィズ・ジェイ・レノに出演し、更には ディズニーランドでのパレードでミッキーマウスと同乗することもできた[6][5]。チームメイトは彼を、その幸運の巡り合わせからフォレスト・ガンプと呼んだ[6][5][7]。
マイヤーズは出場時間を徐々に伸ばし、ジュニア年次に 25ポンド (11 kg)の筋肉を付け、2年間で、身長 6フィート7インチ (2.01 m)、体重230ポンド (100 kg)の体躯へと成長した[9]。彼の最終シーズンとなる1996-97シーズンのオレゴン州立大学戦で、キャリアハイの20得点を上げ、69–60での勝利に貢献した。トーナメントで、UCLAはエリート・エイト(8強)へと進み、数試合でスターターも務め[10]、「私が決してできないと考えていたことだった。"数試合でスターターだったんだ”と子供や孫に言ってやるだろう。」とマイヤーズは語っている[5]。カレッジ卒業後にプレーヤーとしてヨーロッパに行かなかったことを最高に後悔しているとも語っている[11]。
スポーツ・エージェント
マイヤーズは、ハリックからスポーツ・エージェントのアーン・テレムの紹介を受けて、1997年から、ロースクールで単位を取得する傍ら、テレムの事務所でインターンを始めた[6][4][11]。メイヤーズは事務所でも、トップクラスのエージェントに成長し、プレーヤーの契約交渉、リクルートのエキスパートとなった[6][11] 。2000年テレムの事務所がSFXスポーツとなり、メイヤーズが副社長となった[4]。 14年間、エージェントとして過ごし、最後の5年間はワッサーマン・メディアグループに所属し、総額5億7500万ドルの契約に関与した[6][11]。ブランドン・ロイ、タイリーク・エバンス、ケンドリック・パーキンスを含む19人の顧客を抱えていた[12]。
NBA経営者
ゴールデンステート・ウォリアーズ
2011年4月、マイヤーズは、ゴールデンステート・ウォリアーズにアシスタントGMとして雇用され[12]、数年の後に、その時GMであったラリー・ライリーの後任となると目されていたが、12ヶ月という短期でGMへと昇格した[6][12]。マイヤーズは2012年のNBAドラフトに於いて、後にキープレーヤーとなる、ハリソン・バーンズ、フェスタス・エジーリ、ドレイモンド・グリーンの3選手獲得に手腕を発揮し、2012-13シーズンでサンアントニオ・スパーズに敗れはしたものの、プレーオフ第2ラウンド進出の足がかりを築き、再建中のウォリアーズに1977年以来36年ぶりとなる最高のポストシーズンを齎した[13]。シーズン終了後、カリフォルニア、ベイエリア最大の地方紙であるプレス・デモクラットは、このシーズンのチーム構築に誰よりも貢献したことを讃えた[14]。
2014-15シーズンではヘッドコーチにコーチ経験のなかったスティーブ・カーを抜擢し、トレードの可能性の出ていたクレイ・トンプソンとの契約を延長し、結果としてチームが67勝15敗の優れた成績を残したことにより、マイヤーズはNBA最優秀役員賞に選ばれた[15]。
2016-17シーズン、2年ぶり2度目のNBA最優秀役員賞を受賞した。
2023年5月30日、契約満了により、ゴールデンステート・ウォリアーズのGM職を同年6月30日付で退任することが発表された。
パーソナル
妻クリステンとの間に2人の娘がいる[4]。
脚注
- ^ a b “1996-97 UCLA Men’s Basketball Roster”. UCLABruins.com. 2015年5月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年1月閲覧。
- ^ Stewart, Larry (October 11, 2002). “Enberg's Heart Is With Angels”. Los Angeles Times. オリジナルの2011年12月23日時点におけるアーカイブ。. https://webcitation.org/649mtnQFY?url=http://articles.latimes.com/2002/oct/11/sports/sp-tvcol11/2 2016年1月閲覧。
- ^ “Warriors GM: 'Sense of desperation has passed'”. Associated Press (May 20, 2013). May 15, 2015閲覧。 “...the native of nearby Danville...”
- ^ a b c d “2012–13 Golden State Warriors Media Guide”. gs-warriors.com. p. 10. 2012年12月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年3月4日閲覧。
- ^ a b c d Warren, Justin (February 26, 1997). “Everybody loves Bob”. The Daily Bruin. http://dailybruin.com/1997/02/26/everybody-loves-bob/ March 4, 2013閲覧。
- ^ a b c d e f g Bolch, Ben (December 22, 2012). “Bob Myers has had quite a hoop journey”. Los Angeles Times. オリジナルの2013年3月4日時点におけるアーカイブ。. https://webcitation.org/6EsNGlT5Q?url=http://articles.latimes.com/2012/dec/22/sports/la-sp-bolch-nba-20121223
- ^ a b Wilner, Jon (January 9, 1997). “NEW STRUGGLES FOR MYERS : UCLA VS. STANFORD”. Daily News (Los Angeles). オリジナルの2016年2月24日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20160224164439/https://www.highbeam.com/doc/1G1-83851197.html March 4, 2013閲覧。 (要購読契約)
- ^ Rhode, Jim (March 4, 2013). “SPECIAL REPORT / Final Four / Seattle, 1995 : A SEASON ON THE BRINK OF A TITLE : GAME-BY-GAME WITH UCLA”. Los Angeles Times. オリジナルの2013年3月4日時点におけるアーカイブ。. https://webcitation.org/6EsTsi2No?url=http://articles.latimes.com/print/1995-04-01/sports/sp-49744_1_transition-game
- ^ Wilner, Jon (February 10, 1996). “MYERS IS AS MYERS DOES UCLA WALK-ON PROVES HE'S NO DUNCE ON THE COURT”. Daily News (Los Angeles). オリジナルの2016年2月25日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20160225140015/https://www.highbeam.com/doc/1P2-25034486.html March 4, 2013閲覧。 (要購読契約)
- ^ Kawakami, Tim (March 4, 2013). “CRASH, BURN & SOAR : Bruins Lost a Coach, Lost Some Games, Then Gained Momentum and Respect Down the Stretch”. Los Angeles Times. オリジナルの2013年3月4日時点におけるアーカイブ。. https://webcitation.org/6EsSsaSy5?url=http://articles.latimes.com/print/1997-03-24/sports/sp-41569_1_lost-bruins-game
- ^ a b c d Simmons, Rusty (April 15, 2011). “About new Warriors assistant GM Bob Myers”. The San Francisco Chronicle. オリジナルの2013年3月4日時点におけるアーカイブ。. https://webcitation.org/6EsX2t1Gv?url=http://www.sfgate.com/sports/article/About-new-Warriors-assistant-GM-Bob-Myers-2375412.php
- ^ a b c Amick, Sam (April 16, 2011). “Warriors' hiring of agent Myers reveals NBA's new 'mini-trend'”. SI.com (Time Inc). オリジナルの2011年12月23日時点におけるアーカイブ。. https://webcitation.org/649lgEyDR?url=http://sportsillustrated.cnn.com/2011/writers/sam_amick/04/16/warriors.bob.myers/index.html
- ^ Thompson II, Marcus (May 20, 2013). “Golden State Warriors say playoff appearance was just the start”. San Jose Mercury News. オリジナルの2013年6月17日時点におけるアーカイブ。. https://webcitation.org/6HR0OYYRX?url=http://www.mercurynews.com/warriors/ci_23286289/golden-state-warriors-say-playoff-appearance-was-just
- ^ Cohn, Lowell (May 20, 2013). “Warriors' superstar doesn't rebound or shoot”. The Press Democrat. オリジナルの2013年6月17日時点におけるアーカイブ。. https://webcitation.org/6HR0syWKw?url=http://www.pressdemocrat.com/article/20130520/SPORTS/130529939?p=all
- ^ Leung, Diamond (May 1, 2015). “Warriors: General manager Bob Myers named the NBA Basketball Executive of the Year”. San Jose Mercury News. オリジナルの2015年5月15日時点におけるアーカイブ。. https://webcitation.org/6YYIHlGLa?url=http://www.mercurynews.com/warriors/ci_28032349/?source=infinite
主な賞歴 |
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1990年代 | |
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2000年代 | |
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2010年代 | |
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