ベースボール北海道(ベースボールほっかいどう)は、日本の北海道を活動地域とし、2011年開始予定だったプロ野球独立リーグ。
ベースボール北海道
2009年12月の報道では、設立スタッフは「企業を経営しながらNPO法人で環境問題に取り組んできたメンバーが中心」であった[1]。広告代理店を経営する中田元茂が統括プロデューサーだった[1]。
2009年11月10日・初期構想発表時
- 2010年10月に16〜25歳を対象にトライアウトを実施し、道内出身者を中心としたチーム(1チーム25人)を札幌と小樽に設立。
- 1年目の2011年は、「お披露目の年」と位置づけ、札幌、小樽の2チームのみで試合を開催。
- 2年目の2012年は、旭川、苫小牧を加えて4チームに増やし、リーグ戦を開始。
- 将来的には、函館、帯広・釧路を加えて6チームによるリーグ戦を目指す。
- 4月~10月に72試合を実施し、選手給与は10万円程度を予定。
- 初年度は1試合平均500~1000人の集客を見込んでいる。
- 運営費は1チーム1億5千万程度とし、既にスポンサーとして道内約30の企業・個人が名乗りを上げているほか、年2千円で入場券5枚などが付いた会員券の販売を計画。会員券の販売目標について、2009年12月に「2010年度中に20万人(4億円)」と報じられていた[2]。上記の「スポンサー」は会員券に自社のサービスに対する特典を付ける(スポンサーに対する広告料を初年度は免除)予定で、2009年12月の時点で会員券の購入申し込みも「100件近くに上っている」とされていた[1]。
その後の動向
- 2009年10月22日、設立準備室は「本州の独立リーグの長所を学び、夢のあるリーグをつくり、地域を活性化したい。詳しくは(11月10日の)会見で明らかにする」と語っている(11月10日の会見内容は上述)。
- 2010年1月29日、ゼネラルマネージャーに就任予定だった広瀬が、参加を取りやめると報道される。2009年11月よりPR活動に参加していたが、正式な契約はまだ結んでおらず、2010年1月25日に運営団体に「協力できない」と伝えたとしている。広瀬は「責任者の方々と信頼関係を築くことができなかった。すばらしい取り組みだと思っていただけに残念」とコメントしている[3]。
その後、初期構想で明らかにされた監督・コーチの選任やトライアウトなどの予定を過ぎても、続報がなされない状態となっている。2010年6月には元埼玉西武ライオンズの三井浩二(足寄町出身)が「手助けを依頼され、前向きに考えている」と報じられた[4]が、こちらもその後の報道はない。それ以降もまったく発表や報道がされないまま、当初の開幕予定だった2011年4月を迎えることとなった。
沿革
- 2009年
- 10月22日 札幌市に「独立リーグ設立準備室」を結成。11月10日に道庁内で記者会見を行い、構想を発表すると報道[5]。
- 11月10日 独立リーグ「ベースボール北海道」の設立とリーグの構想を発表。2011年より、2チームでの開幕を予定していた[6]。
脚注
- ^ a b c “逆風の中で:第7部・地域プロ/1 ベースボール北海道、船出へ”. 毎日新聞. (2009年12月15日)
- ^ “経営難、実力見劣り…独立リーグ 苦しいマウンド”. 朝日新聞. (2009年12月29日). https://www.asahi.com/sports/baseball/npb/news/TKY200912290148.html
- ^ “野球の道独立リーグ 広瀬氏は参加せず”. 北海道新聞. (2010年1月29日). http://www.hokkaido-np.co.jp/news/sports/212725.html [リンク切れ]
- ^ “元西武・三井浩二「ベースボール北海道」/引退後記”. ニッカン今井でございます (日刊スポーツ). (2010年6月24日). オリジナルの2013年4月27日時点におけるアーカイブ。. https://archive.is/9TCxA [リンク切れ](2011年6月に電子書籍に移行している(アーカイブ 2013年5月9日 - ウェイバックマシン))
- ^ “道内に野球独立リーグを 準備室、来月10日に会見”. 北海道新聞. (2009年10月22日). http://www.hokkaido-np.co.jp/news/sports/195704.html [リンク切れ]
- ^ “「北海道に野球独立リーグ」 2011年春、試合開始へ”. 北海道新聞. (2009年11月10日). オリジナルの2013年8月27日時点におけるアーカイブ。. https://archive.is/Feh5M
関連項目