フィンランド民主共和国
Suomen kansanvaltainen tasavalta (フィンランド語 )
フィンランド民主共和国の領土変化 緑:フィンランドに割譲 赤:ソビエト連邦に割譲
ソ連とフィンランド民主共和国間の条約にサインするモロトフ
フィンランド民主共和国 (フィンランドみんしゅきょうわこく、フィンランド語 : Suomen kansanvaltainen tasavalta 、英語 : Finnish Democratic Republic )は、フィンランド に1939年 12月1日 から1940年 3月13日 の冬戦争 終戦まで存在したソビエト連邦 による傀儡政権 である。カレリア地峡 の町テリヨキ(現在のゼレノゴルスキ (ロシア語版 、フィンランド語版 、英語版 ) )が臨時の首都 [ 注釈 1] と定められ、テリヨキ政権 とも呼ばれる[ 2] 。また民主的フィンランド政府 とする資料もある[ 3] 。ソ連はこの政府 を唯一のフィンランド政府とみなした。
首班(議長)はフィンランド内戦 後にソ連に亡命 していた共産党 員オットー・クーシネン であった。当初(11月12日)ではストックホルム 在住の中央委員、アルボ・トゥオミネン (英語版 ) が候補であったが、彼が力不足を理由に拒否したためクーシネンが就任することになったとされる。
経緯
1939年11月30日、モスクワ はフィンランド共産党 の放送を受信したとして同党の宣言を報道した。翌日タス通信 においてさらなる宣言を追加すると共に、ソ連がフィンランド民主共和国人民政府の形成を承認し、外交関係を結んだと報道した。これによりフィンランド民主共和国が樹立された。これにはソ連がフィンランドへの勢力の拡大を目論んだものであった 。
同年12月2日、共和国首相兼外相を名乗るオットー・クーシネンはクレムリン を訪問してソ連の外相モロトフ と会談。テリヨキ政権は「フィンランド政府」として、両国間で相互援助及び友好に関する条約を締結、調印した[ 5] 。12月14日、ソ連は国際連盟 総会でフィンランドの侵略を非難され、除名されるに至ったが、その際、モロトフは既にフィンランド民主共和国と条約を結んでおり侵略ではないと主張した[ 6] 。
しかし冬戦争 の継続と共にこの方針は放棄せざるをえず、3月12日、和平条約 を従来のフィンランド政府と結び、18日にソ連の外相モロトフ は「フィンランド民主共和国人民政府は無用な流血とフィンランド人の負担を考慮して、戦争終結に同意し、解散した」と発表した。消滅の正確な日付は不詳である。現実にはカレロ=フィン・ソビエト社会主義共和国 (現在のロシア連邦 ・カレリア共和国 )に吸収合併され、自然消滅したものと思われる。なお、カレロ=フィン・ソビエト社会主義共和国の首班はオットー・クーシネンが引き続き務めることとなった。
テリヨキ政府
脚注
注釈
出典
^ Juri Kilin. Suurvallan rajamaa: Neuvosto-Karjala Neuvostovaltion politiikassa 1920—1941. — Pohjois-Suomen Historiallinen Yhdistys, 2001. ISBN 952988819X . (Document, issued by the Finnish Democratic Republic (Suomen kansanvaltainen tasavalta), published on the back cover of this book.)
^ 『物語 フィンランドの歴史』中公新書、2017年10月25日、153頁。
^ <研究資料>「冬戦争」にいたるソ連・フィンランド関係に関する補足的ノート 百瀬宏
^ フィンランドとの不可侵条約廃棄を通告(『朝日新聞』昭和14年11月30日夕刊)『昭和ニュース辞典第7巻 昭和14年-昭和16年』p382 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年
^ 除名は連盟の敗北、とタス通信(『朝日新聞』昭和14年12月17日)『昭和ニュース辞典第7巻 昭和14年-昭和16年』p383
参考文献
Brody, Alter (1939). The U.S.S.R. and Finland — Historical, Economic, Political Facts and Documents . New York: Soviet Russia Today
関連項目